テーマ:生命

宇宙的真理の覚知

池田:私は、現代の危機を打開する力の源泉を仏教は、まちがいなく秘めていると信じています。それは、人間に自らの深い心理を覚知させることを根本にして、主体性と寛容性を確立させる教えであるからです。  ”主体性”とここで私がいう意味は、本能的な欲望や衝動に引きずりまわされないことであり、したがって、物質主義への指向性に負けないことです。それ…
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仏陀とは”覚知した人”

池田:仏教がめざし、到達し、そして人びとに教えているもっとも根本的なことは、人間自身の究極的な自己認識でした。仏陀とは”覚知した人”という意味で、その覚知したものは、結局、自己の本源的な存在そのものです。  本能的欲望や愛あるいは慈悲は、あえていえば、生命自体の発揮するエネルギーのかたちであるといえましょう。本能的欲望は、自己の生命を…
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慈悲と愛の違い

 慈悲とは、愛、僧のごとき相対的なものではなく、絶対的なものである。慈とは楽しみを与え、悲とは苦しみを抜いてあげる義をいう。キリスト教で説く愛とは、根本的に違いがあり、自他共に永遠に救済しきる働きが含まれているものである。  しかも、慈悲とは、修行によって得られるものではない。大御本尊を信じ、唱題していくときに、自然と仏の慈悲の境地に…
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避妊は背徳か?

池田:かつて、人類が人口を抑制する最も手っ取り早い方法は戦争でした。そのほか日本では生まれてきた子を殺す「間引き」も、貧しい民衆の間で行われた、生き延びるための悲惨な知恵でした。今日では、そのどちらも絶対に行ってはならないことです。やはり、人口抑制への、理性的な唯一の有効な方法は避妊でしょう。私は、生まれ出てくるべき子をあらかじめ抑制す…
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九識論 自由

 すなわち、人間は、他に類をみないほど優れた存在にもなりうる一方、他のなにものよりも恐ろしく卑しい存在にもなりうる”自由性”をもっているということができます。自由性とは、いいかえれば、不安定さです。この自由を、人間が価値あるものにすることができるかどうかは、自己を正しく認識するとともに、自己を規制・支配できる力を各人がもつかどうかにかか…
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唯識論

 とくに仏教においては、仏教者の実践と思索の積み重ねによって、生命の構造に関する詳細な理論が構築されてきました。  このような仏教の理論の中で、西洋の哲学でいう認識論とともに、今日の精神分析学とも深くかかわる問題の一つに、唯識論があります。この唯識論というのは、たんに認識上の理論にとどまらず、その認識という作用をなす主体の生命を問題に…
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九識論 仏陀

 仏教の実践者が努力してきたことも、外界からの束縛と自己の内なる運命の力を克服するために、より高度な精神的生命を開拓することであったといえます。  すでに申し上げたように、そうした精神的生命を支えるもっとも力強く、広大な基盤は、アマラ識と呼ばれる第九識にあり、これを自ら覚知するとともに顕している人を“仏陀”と呼びます。本来、アマラ識は…
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仏教の永遠の生命観

北川:仏教の永遠の生命観というと、非常に虚無的な色彩が濃く、死の準備のための思想という受け取り方も一部にあるようですが、そうではなく、この現実の人生をもっとも深い意味で楽しみきって生きていく道を教えた宗教である、ということを認識する必要がありますね。 池田:そのとおりです。たとえば、浄土宗等においては、この世は穢土であり、人生は一切が…
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「回向」 「追善供養」

 池田:死せる生命には、自己変革の力がありません、みずからの行動を通じて、仏界をくみだすことはできない。  しかし、正者の側から送りこまれた仏界が、その生命の基底部を揺り動かし、傾向性を変えていくことはできる。  生きている私たちの周囲にも、みずから仏界を顕現させることによって、はつらつとした生命力を得て、みごとに地獄界や餓鬼界を脱…
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生を取りもどす力

 北川:地獄界に色づけられた生命が、限りないほどの長期間にわたって死にとどまるのに対して、仏の生命は、死から生へとすみやかに転生していくその理由は何でしょうか。  池田:地獄界の「如是力」には、蘇生への発動性が、非常に弱いといっていいでしょう。  それとはまったく対照的に、仏界には、たとえ一瞬の死を迎えても、ふたたび生を取りもどす根…
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生命の傾向性

池田: 個々の生命には、十界のすべてがそなわっている。だから、私たちは、縁によって瞬間瞬間、十界のいずれの生命観をもいだき、どのような境涯をもあらわしうる可能性をもっている。  にもかかわらず、現実には、地獄界を基調とする生命体もあれば、餓鬼界を基調として、絶えずそこに戻っていく個体もある。それを生命の傾向性と呼んだのだが、地獄を主た…
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死とは生命の大海と一体になる

 生命は死によって無に帰するのではなく、個体から、さらに広大な地球、宇宙へと合流していくと考えるべきでしょう。その様相は、次のようなたとえから思索すれば、やや明瞭になるのではないかと思う。  本書の「身体と心」の章で、私は、人間生命の状態を、大海に浮かぶ氷山にたとえました。氷山の海面から出ている分野が、意識的な精神作用とそれにともなう…
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医学では死をどのようにとらえているのか

 川田:私自身医学を学んでいますが、じつは、そのところが、私も疑問なのです。医者が死を知らないというと、不思議に思う人もいるでしょうが、どの医学書をひもといてみても、死を定義した個所はないのです。それどころか、どういう現象が起きれば死と考えるか、ということすら明確ではありません。ただ、習慣的に心臓の停止、呼吸の停止、それから瞳孔反射が消…
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人類誕生の条件

 宇宙のいずこにおいても、生きとし生けるものの生死流転の底に、宇宙本源の生命が息づいているかぎり、その生命にふれるところには、宗教的心情の胎動があり、偉大なる進化の飛躍がうながされているはずです。地球上における場合には、最も原始的な生命が姿をあらわしてから、三十億年にもおよぶ生命進化の基盤があった。その底には、たえず、宇宙本源の生命の脈…
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宇宙生命の内在力

 少なくとも、生物形成の素材というか、原料があり、生命発生をうながすにたりる条件がそなわっているところでは、それは宇宙内在の生命への傾向力による、というふうにいうことはできるでしょう。  しかし、だからといって、そうした環境を発見できるところに、かならず、予想しうる生命体が誕生しうるか、といえば、そうは断定できない。たとえば、高まりつ…
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一念の心

 仏法で「一念の心」というと、瞬間、瞬間の生命とも考えられるが、実は生命それ自体ということなのです。つまり、私たちの生命全体像といってもよい。瞬間の胎動として顕在化する人間生命を、ただ、その現象面のみを追って皮相的にとらえると、「三重秘伝抄」の問いにあるように、「一念微少」との感をまぬかれないかもしれません。  しかし、瞬間ごとの流転…
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九識論 健康と人生3

 仏法では人間の「生」については、人間の「死」と同様にプロセスとしてとらえています。  受精・受胎によって「生命」が宿ることを示されています。仏典によっては、「中有身」が宿るとも、「識」が入胎するとも示されています。  この「識」は、「阿頼耶識」をさします。”輪廻”を認める立場から表現すれば、「中有身」とも言えましょう。この「阿頼耶…
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九識論 健康と人生2

 九識論には、動物と人間の間に差別をつける指向性はありません。仏法では、人間の「死」を、意識のある「第三段階」、無意識ではあるが、外界に反応する「第二段階」、そして深い昏睡におちいり、すでに外界との対応がなくなった「第一段階」へと、しだいに移っていくプロセスとして、連続的にとらえています。  したがって、「第三段階」から、「第二段階」…
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九識論 健康と人生1

 博士があげられた「生命の三段階」に関すると思われる、仏法の法理をあげたいと思います。  いわば仏法の認識論からの生命の本質へのアプローチです。  まず、眼・耳・鼻・舌・身(皮膚)という五つの感覚器官の外界とのかかわりを「五識」とします。  その五識の背後に、それらを統合する心の働きとして第六識を立てます。これは「意識」と呼ばれま…
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九識論 第九識

 阿頼耶識よりもさらに深い生命の深層に示されたのが、第九識である阿摩羅識。「阿摩羅」とは、「汚れがない」という意味であり、第九識は根本清浄識、無垢識ともいわれる。要するに生命の根底に存在する清らかな領域であり、宇宙生命そのもの。  天台大師は、第九識を「仏識」としている。阿摩羅識は仏の境涯によってはじめて覚知される領域であり、また、す…
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九識論 第八識

 第八識は阿頼耶識という。「阿頼耶」とは、サンスクリットの「アーラヤ」の音写。元来はものをたくわえる蔵という意味。永遠の過去以来の一切の行為(業)の潜在的影響力が刻まれ、たくわえられる生命の領域であり、蔵識とも呼ばれる。  善悪を問わず、一切の行為(業)の影響力はその行為が終わっても消えることなく、阿頼耶識という生命の深層に刻まれてい…
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九識論 七識

 第七識は末那識とよばれる。「末那」とはサンスクリッドの「マナス」の音写で、「常に考え続ける」という意味。第六識の意識も思考する働きだが、意識の場合は五官を通して入ってくる情報を判断する働きであるのに対し、末那識は外界の状況にかかわらず、自分の内から働く、深く強い作用。  十界論では、世界を貫く真理をつかもうとする二乗(声聞・縁覚)の…
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九識論 「五識」「六識」

 九識の「識」とは、外界を認識する生命の働きのこと。  はじめの五識は、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識といって、眼・耳・鼻・舌・皮膚という五つの感覚器官の働きによる認識作用。  そして、第六識の意識とは、五感を通して入ってくる外界のさまざまな情報を生命の中で統合し、一定の判断を下して自分の行動を決める働きのこと。また、記憶や夢なども、…
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「眷属」 生まれてくる子供は親を選ぶ

 仏法では、「眷属」が説かれており、親子や一族、親族といったものは、この「眷属」の一つの範疇ととらえる。  人間の似たような親と子といっても、それぞれがが一個の独立した存在であることも間違いない。それでいてその性分は似通っているものが多くある。  ですから仏法では、生命にの内なる「因」と外なる「縁」との相応、和合といううえから、人間…
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九識論 (私の仏教観)

 池田:世親は・・・識の根本にある「アーラヤ(阿頼耶=蔵)識」なる概念を導き出したわけです。これは、アビダルマ仏教の段階において、識を眼・耳・鼻・舌・身・意の六識に分けていたのですが、大乗にいたって第七識に「末那識」が加わり、さらに八識として「阿頼耶識」を打ち立てたことによって、ほぼ「識」の構造が確立されたことを意味します。  松本:…
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九識 東洋学術

 大乗仏教の系統――中国の天台大師や日本の日蓮大聖人は、個別生命の根本流である「阿頼耶識」をも包括しゆく「宇宙生命」を「第九識」とし、「根本清浄識」と表現しております。  「宇宙生命」としての「仏性」は、人間生命という「内なる宇宙」の内奥にあり、しかも「外なる宇宙」と一体となりつつ、慈悲と智慧に光輝いている根本的な「清浄心」であるとい…
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九識 御義口伝

 天台宗、華厳宗等では識を九つ立て、第九識をもって如来蔵識、清浄識といい、これを心王といいう。 識とは心が内外の対境に対して、これは何、彼は何と、その異同を知る作用をいい、眼、耳、鼻、舌、身、意のおのおのに識があると立てる。 すなわち、眼識とは色を縁として物の区別異同を知る識、以下おのおのの声、香、味、触、法を縁とする。 俱舎宗等…
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「九識」 法を軸として無限の広がりと深さ

 「五識」とは。人間の「心」というものの働きを、ひとつには「目」「耳」「鼻」「舌」「身」という五感にともなうものであると、説いているわけです。「五識」の「識」とは、「境に対して(略)了了別知することを名づけて識と為す」というように、対象を分析し、認識する作用をさしている。  いまの「五識」と、いわゆる「第六識」である人間の物事に対する…
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「識」-心の主体

 仏教では、一切のものの存在の基盤を、外界ではなく、自らの「心」におく。この「心の主体」が「識」である。  識は、単に外界に向かう自我意識をさすのではない。識は、対境を認識する自我意識、即ち六識の奥に、内なる世界を包含して、宇宙それ自体にまで繋がって(つながって)いく。広大なる「心的宇宙」が、識の世界である。  仏教では、心理的宇宙…
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地球民族主義

 登壇した代表の話のなかで、ひときわ大きな感動を呼んだのは、アフリカ代表のケニアのメンバーのあいさつであった。 「現在、アフリカは旱魃、食糧問題等、数多くの難題をかかえております。しかも、どの問題一つをとっても、全世界、全地球的規模で取り組まなければ解決のつかない問題ばかりであります。しかし、いまだ世界には、そのための共通の精神的基盤…
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