テーマ:生命

「有限」と「無限」ということについて

池田:「有限」と「無限」ということについて、仏教の生命観、とりわけ時間・空間という有限性、限定性を同時に超克しゆく大乗仏教の生命観には、きわめて興味深い視座が説かれています。  私の恩師は、第二次世界大戦中、軍国主義政府と戦い、過酷な獄中生活を送るなか、妙法を唱え抜き、思索を重ね、二つの偉大な獄中体験をえました。その第一が先に触れた「…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

自由はつねに相対的

池田:絶対的自由主義者のように、何でも思いどおりになるということが、人間の本当の欲求にかなっているのか、それが人間に、真の充足感、幸福感をもたらすのか――よくよく考え直してみなければならないことです。  地球環境という客観的条件の面から考えても、人間が、今日の先進国並みの生活様式を維持し続けようとすれば、この有限の球体(地球)が養うこ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

六根 六識

六根  眼、耳、鼻、舌、身、意の六根のことである。  根とは、生命には、対境に縁すると即時に作用する機能が本然的に備わっており、その機能の根源を根という。  六根の対境にあたるものが、六境または六塵(色、声、香、味、触、法)で、六根が六境と関係して生ずる感覚を六識という。  たとえば、生命には眼根があるために、色境に縁すれば眼識…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

人間の知的成長の過程

サド―ヴニチィ: ――ある時ふと、人間は「火とは何なのだろう」という疑問をもった。そして炎を見つめ、その美しさ、多様な姿を見ながら、いったい、この火とは何なのかと考え続けていった――。  この疑問は何百万年も前からあったにもかかわらず、いまだに完璧な学問的な答えはありません。これは火に限ったことではありません。たとえば*球電をとって…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大通智勝仏

大通は心王なり智勝は心数なり  天台宗、華厳宗などでは、識を九つ立てて、第九識の阿摩羅識をもって、如来蔵識、清浄識といい、これを心王と立てる。心王とは心の主体をいい、心数とは心王に対する語で、心にともなって起こってくる作用をいう。結局、生命の本体と、生命の働き、すなわち体と用の関係であり、心王・心数で俱体俱用をあらわす。また一念三千で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

わが己心の仏界 薬草喩品

 五識とは、眼、耳、鼻、舌、身、の識によって、意の識が含まれないゆえに、行動それ自体が五識といえよう。雨が降り、風が吹き、雲が湧く外界の状態それ自体を感ずる姿である。六識になると、意識が加わり、われわれの通常の日常心である。五識にかなった比量や推論をするようになる。すなわち、五識ではまだ縄を蛇と見あやまったりするが、六識はそのようなこと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

十界論と九識論 下

 これらに対して、感覚的、本能的な欲望の追求に始終するのではなく、永遠的な真理を悟ることによって、恒常的な幸福を確立しようとするのが、声聞以上の四つです。  声聞とは「声を聞く」という意味で、先に悟りを得ている人の教えを学び、それに習うことによって、真理を得ようとし、また、そこに喜びを感じていく生命の状態です。  縁覚とは、自ら自然…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

十界論と九識論 上

 九識論との関係でいえば、第九識を顕現している生命の状態が仏界です。菩薩は、第九識には到達していませんが、第八識までを顕現している状態と考えられます。声聞と縁覚とは、第七識までをあらわして働かせている状態です。天・人以下においては第六識が中心で、第七識は稀に顕現するだけといった状態です。いいかえれば、天・人以下は、本能的欲望の追求に始終…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

日蓮大聖人と天台大師の実践法

 中国において一念三千の法門を確立して、日蓮大聖人も敬意を払っていた天台大師の教えたところも、同じであったと思われます。天台大師は、初心の人びとや知的能力のそれほどすぐれていない人には、たとえば、日々、仏を念じ、仏の名を唱えることを実践法として教えました。もう少し高度な能力をもつ人びとには、法華経をはじめとする経典を読み、教義的理解を深…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

人間教育の肝心

池田 人間は、なんらかの目的をもち、そこに打ち込んでいく喜びを知るならば、目先の欲望の充足といった小さな喜びにとらわれることはなくなります。私は、人間の本性の中には、こうした、より高い喜びを求める心があると信じています。また、仏教においても、すでに十界について申し上げたように、物質的欲望の充足に喜びを感ずる生命もあるとともに、高い真理…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仏陀であることの証明

 日蓮大聖人は、蒙古の大軍がやがて日本を襲ってくることを、当時、日本の権力を握っていた北条氏に警告しました。その八年後に蒙古から使者が来て日本を脅迫しました。その後も、毎年のように、蒙古は使者を日本に送り、ついに、日蓮大聖人の最初の警告から十四年たって、服従の勧告を入れない日本に、蒙古は大軍をを送って襲撃してきたのです。この自身の予言警…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

欲望を昇華させる

 物質的欲望をもっている人も、高い知恵の確保をめざす人も、さらに高度な人格的完成を願う人も、日蓮大聖人の樹立した一つのやり方に従えばよいというのです。  それは、仏法の究極の悟りをあらわしたマンダラに向かい、これを信じて、南無妙法蓮華経の題目を唱えることです。それがたとえ物質的欲望の充足を願う心からであったとしても、その欲望は昇華され…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

表音文字と表意文字

 文字は、大きく分けて表音文字と表意文字に区別することができると思います。  表音文字の場合、あくまで音声として現される話し言葉が中心になり、直線や曲線で表される文字はそれを写したものという立場になりましょう。これに対して表意文字は、その意味するものが持っている特徴を目に見えるものにあらわし、象徴的に表現したものです。  表音文字の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

無疑曰信(むぎわつしん)

 疑いなきを信という。三大秘法の大御本尊の大功徳を絶対に信じ、日蓮大聖人の色心不二の生命哲学を最高唯一と信ずることが、仏法の根本である。  たとえ一時的には罰を受けようが、病気になろうが、家が焼けようが、どんなことがあっても御本尊を疑わない。大聖人の仰せどおりに信心修行をまっとうしきる――これが無疑曰信であり、その信心をしている人が成…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

信解の信

われわれは、友人を信じ、親を信じ、また自己を信じ、あるいは本を信じ、人の話を信じ、あるいは、新聞に報道されたことが事実であると信ずる。信じたり、信じなかったりすることが現実の生活であろう。生活から、信ずるということを取り除いたら、あとになにが残るであろうか。社会というものの本質が、おたがいに信頼しあい、尊敬しあって、初めて成り立つもので…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

舎利弗

 舎利弗を空、仮、中の三諦に立て分け、またその漢語訳の「身子」を色心の二法に見ていくということと、釈尊の十大弟子の一人である舎利弗との関係を考えてみよう。たしかに、舎利弗という名の人は実在していたに違いない。実に頭がよく智慧第一といわれるぐらい、釈尊の説法をよく理解した人いわれている。しかし、法華経は、万人に通ずる方程式を示したものであ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仏教上の経とは

 経とは、仏典の経文のことだと、世人は思っている。しかるに仏教上の経とは、決してそれだけを意味するものではない。宇宙の森羅万象の語言、動作、ことごとく経である。賢哲の言動も経であれば、一凡愚のさけびも経である。この経は、そのもの自体の真理と価値を表明する。ゆえに非情より有情の経は高く、有情のうちでも、ネコ、イヌより凡夫の経が高いのである…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

完全な人間

ユイグ:こうして、人間について引きだそうとしている概念がこの私たちの対話を通して、明確になってきたわけですが、必要なことは、完全な人間、全体的な人間をめざすことです。それを私は、歴史的な意味においてでなく、もっとも広い意味で、ヒューマニズムと呼びましょう。そして、この完全な人間とは、三頭立ての馬車になぞらえられます。一頭は感受性であり、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

境智冥合

 舎利弗が法華経の説法を聞いて、いったい何を悟ったのか、それは、事の一念三千の南無妙法蓮華経を悟って成仏したのである。この妙法に合掌することが、境智冥合であり、真の合掌になるのである。ゆえに舎利弗にせよ、凡愚のわれわれにせよ、事の一念三千の当体に向かって唱題修行するとき、空仮中の三諦、法報応の三身を覚知することになるのである。 一…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

真実の自由は智慧によって

池田:”地獄”とは、日本語の意味は、大地の中にある牢獄ということで、いうまでもなく、牢獄とは自由のないところであるからです。仏教の教えにおいても、地獄を説明するのに、縛られ繋がれて自由がないことだといっています。  それに対して、仏とは覚り、智慧を得た人ということであって、それだけをみると、自由という概念と無関係のように思えます。しか…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「宿業」

池田:宿業は、その個体が発生したとき、すでに生命の根源にはらまれている業をいいますが、いまいったことからすると、それには、生理学的な業と心理学的な業とが含まれるということになります。  生理学的な業とは、体質とか身体上の遺伝的な特徴を形成するもので、一方、心理学的な業とは、精神的資質の基盤をなす潜在的な要素をつくっています。そして、生…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

意識とは

池田:唯識論は、この”識”を焦点にすえて、生命の営みの過程をとらえ、さらに、生命の内面の領域へ解明の歩みを進めていきます。  まず、眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)の各感覚器官のそれぞれに”識”があるとされます。たとえば眼の識は、眼という感覚器官をとおして外界を認識します。しかし、これらの”識”は、一面的な認識しかできませんから、そこから伝…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

山が険しいほどより大きな喜びが

池田:自己と外界との関係において得られる喜びも、不動の強い自己が確立されれば、いっそう幅が広くなって多くなりますし、いっそう長つづきするものになります。たとえば、山に登ることは、病気で体力のない人や、山登りの技術も、その山についての知識もない人にとっては、たいへんな苦しみであり、また危険なことでしょう。しかし、健康で体力があり、技術も知…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

円融三諦の原理

池田:空諦とは生命のもつ知恵の働きで、たとえば花が咲いたり、人間が話をしたりする、それぞれの行為をとおしてあらわれる存在それ自体の活力のようなものが空諦の側面です。  仮諦とは「すべての生命体は仮に和合して存在している」との観点から、その生命体自信を調和あるものとしていく側面をいいます。  また中諦とは、一切の存在の根底にあって、そ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仏教医学の特徴

池田:中国の天台大師は、病気の原因について四大の不順は最も表層的な場合にすぎず、他に五種類の場合があることを解明しています。その最も深層に原因をもつ場合が、業による病です。そこに、人間心理からさらに生命の深層に光を投げ入れた仏教医学の特徴があるのです。九識論にみられる生命の深層世界への仏教の探求の軌跡は、そうした心身にわたる病気に取り組…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

煩悩による心身の乱れ

池田:仏教では数多くの煩悩を明かにし、この煩悩によって心身の乱れがひきおこされるとします。そして、この煩悩を生ずる原因は、業としての各人の生命の根源にはらまれたものにあるとするのです。  仏教医学の観点からすれば、たとえば精神分裂症は、さまざまな煩悩による自我の分裂ととらえます。躁うつ病は、煩悩の働きによって生命のリズムが周囲のリズム…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

原初の統一性への復帰

池田:仏教が、その信仰実践の根本として教えているのは、あなたがいわれた「万物がそこから出た原初の統一性への復帰」ということにほかなりません。この”原初の統一性”を仏教は「妙法蓮華経」と説きました。そして、仏教は、この根源の法に、”南無”することを教えます。”南無”とはサンスクリット語であり「命を帰する」「そこへ帰って一体化を取り戻すこと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「空虚」を意味する「空大」

池田:自然の調和の破壊は、日・水・風の巨大な災いをひきおこすとともに、私たちの生命の拠って立っている土台を破壊し、滅亡を招くことになるのです。 もう一つの空大は、空虚という意味の示すように、地・水・火・風の四大を包む広大な宇宙の空間であるとともに、地・水・火・風すべてを生み出す根源のエネルギーを秘めた”場”それ自体でもあります。それは…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

人間と宇宙を融合する

池田:仏教は、まさしく自然との融合を大事にしており、宇宙の万物を構成している要素を地・水・火・風・空の”五大”とし、自然そのものも、人間自体も同じこれらの”五大”から成っているとしています。そして、宇宙・自然の”五大”に不調和が生ずれば、人間を構成している”五大”にも不調和が生じ、やがて人類は滅亡におちいると教えています。  仏教史上…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

宇宙的真理の覚知

池田:私は、現代の危機を打開する力の源泉を仏教は、まちがいなく秘めていると信じています。それは、人間に自らの深い心理を覚知させることを根本にして、主体性と寛容性を確立させる教えであるからです。  ”主体性”とここで私がいう意味は、本能的な欲望や衝動に引きずりまわされないことであり、したがって、物質主義への指向性に負けないことです。それ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more