テーマ:生活

からだを借りていただけ

このからだの細胞群が、素敵な仮の宿を与えてくれていたのです。この驚くべき脳は、まさに数十億、数兆のデータの断片をいかなる瞬間もまとめ上げ、わたしのために、この環境の三次元の知覚をつくり出していたのです。 それは継ぎ目のない現実であるだけでなく、安心できるもの。この幻想の中で、生物学的な細胞組織が効率よく、わたしという形をつくりだした…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

脳卒中の朝

左脳の言語中枢が徐々に静かになるにつれて、わたしは人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心がなごんでいきました。高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって、意識は悟りの感覚、あるいは宇宙と融合して「ひとつになる」ところまで高まっていきました。むりやりとはいえ、家路をたどるような感じで、心地よいのです。  …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

再生能力

 わたしはもう一つのことも学んだ。たとえ前途がまったく絶望的と思われる時でも、人間の身体の再生能力を決して過小評価してはならぬということだった。 生命力というものは地球上でもっとも理解されていない力かもしれない。 ウィリアム・ジェームズは、人類はともすれば、自分で設けた枠の中に閉じこもって生き過ぎると言った。 人間の精神と肉体の双…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

感謝をもってうけとめる

 彼は、もう一度収容所の生活に戻ることさえあこがれている。すくなくとも、どんなにわずかな希望であっても、いつかはまた幸せになれるという希望を抱くことができたころのことを痛切に思い返しているというのです。このようなことがしばしば起こり得るほど、彼は不幸なのです。人間にとって、ほんのわずかであっても幸せになれるという可能性は、幸せではないと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

心の支えー使命

 「ここで問わなければなりません。典型的な囚人になってしまったのはいつでしょうか。その人が自分の心を没落するままにまかせたのはいつでしょうか。その答えは、心の支えをなくしたときだ、心の支えがなくなったらすぐだ、という答えになるはずです。この支えは、二つのものにありました。つまりそれは将来にあるか、永遠にあるかでした。後者は、本当に宗教的…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

遺体を寄贈する?

ご存じのように、死後も科学のお役に立てれば、とさまざまな仕方で自分の遺体を解剖学研究所に寄贈する人たちがいます。けれども、医者である私の立場からすれば、人間をこのようにきわめて実際的に価値づけることは、許されてはならないことなのです。  たしかに、医者のまえには、事実が「置かれて」います。医者は、患者に対して、内面的な距離を保った態…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

お母さんのこと好き?

この手紙はごく最近ウィーンのある新聞にのったものですが、その一説に次のように記されています。 「私の子供は、体内で頭蓋骨が早期に癒着したために不治の病にかかったまま、一九二九年六月六日に生まれました。私は当時十八歳でした。私は子どもを神様のように崇め、かぎりなく愛しました。母と私は、このかわいそうなおちびちゃんを助けるために、あらゆる…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

友情を広げること

池田:この世界には、人間と人間の絆を断ち切り、世界と世界を分断する力がつねに存在しています。しかし、乗り越えられない対立など絶対にないのです。  人間精神に内在する「善」の力をもって、分断という「悪」の力と絶えず戦っていかねばならない。  そのためにも、あらゆる差異を超える「人間性」の大地に立つ、強固な民衆の連帯を築きあげていかねば…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

楽観主義

池田:「選択」という言葉から思い起こされるのは、私のよき友人であった故ノーマン・カズンズ氏の著作『人間の選択』にある一文です。  「わたしがこれまでに学んだ、いちばん重要な教訓と言えば、新しい選択(オプション)を創造し、その選択を行う能力こそ、人間の独自性の主要な要素の一つであるということである」「わたしは、人間の能力が無限であること…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

真の自由

テヘラニアン:そもそも私たちは、人生においてみずから望むことをなそうとしても、厳密な意味で完全に自由ではない。人間の自由といっても限度があります。  まず、自然や社会の環境という運命や業に束縛されています。また直接的にであれ間接的にであれ、一人一人を規定する体制(家族、学校、職場、経済、政治)、および、ある関係や活動のための忠誠心にも…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

人間のための宗教への転換

池田:仏典には、「鏡に向かって礼拝を成す時浮かべる影又我を礼拝するなり」(御書769p)という美しい譬えがあります。これは、他者の生命への尊敬がそのまま鏡のごとく、自分の生命を荘厳していくという法理を示したものです。  つまり、すべての生命に対して、自分と別ものではなく、そこに自他に共通する生命を見いだす「自他不二の礼拝」の実践を貫く…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

自分は、大きな生命の一部なのだ

テヘラニアン:私たち人間の「生」は、もっと大きな存在の一部であって、他のすべての生命体と「相互依存」の関係にあることと認識することが重要です。  そう認識すれば、個別的と思われる肉体的存在がまねく、不可避的な宿業である紛争をも解決する道を、私たちは歩めるのではないでしょうか。 池田:仏法の「縁起」の思想にも相通じる考え方ですね。「縁…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

戸田平和研究所

池田:私は、師の遺志を受け継ぎ、世界平和の実現のため、民衆の英知と力を結集する「人類共闘の拠点」として、戸田平和研究所を創立いたしました。  設立にあたって私は、研究の進め方として、世界の学術・研究機関、さらにはNGO(非政府組織)とも協力しあいながら、その国際的なネットワークづくりを進めていく――とくに、その大きな目標として研究者と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

喜びも感じなければ苦悩も感じない

 苦悩できないそのことに苦悩するという心の病気の症状もあります。つまり、特殊な形態の鬱病がありますが、その鬱病は、普通の鬱病と違って、悲しみや不安のような情緒不安定を伴いません。その鬱病にかかった患者が訴えるのは、よろこびを感じないけれど苦悩も感じない、そもそもどんな感情活動も、好ましい体験もいやな体験も不可能だ、心理状態がにぶって感情…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

失業者も、人生を意味あるものにできる

職業上の労働は、自分の人生を活動によって意味あるものにできる唯一の場ではありません。職業上の労働だけが人生を意味あるものにするといえるでしょうか。多くの人たちの労働は、無意味であるばかりか機械的であることもあります。彼らは、数列をどこまでも加算したり、機械のレバーをいつも同じように動かしたり切りかえたり、ベルトコンベヤーでいつも同じ作業…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

存在は言葉より決定的

「それでは、やはりまだ決断というようなものの余地があったのでしょうか。そうだとしても、不思議ではありません。人間はありのままの存在に連れ戻されたのですが、この「実在」とは、まさしく決断にほかならないからです。  しかし、この決断にあたって、人間の助けになったものがあります。この決断にあたって決定的な役割を演じたものがあります。それは、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仏教の平等観

池田:仏教の平等観の根本は、他者へ尊敬です。みずからが偉いから、また恵まれているから,かわいそうな人を救うというのではなく、その行為の奥にはエゴイズムが見え隠れするでしょう。  そうではなく、他者のなかの仏性を尊敬するゆえに、利他の行動に打って出るのです。他者の仏性に奉仕するのです。これによって、利他の行動は「偽善」におちいることをま…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

言葉の奥の「意」を読み取る努力

池田:イスラム経やキリスト教、ユダヤ教では「預言者」が登場します。  日本で「預言者」の語は、発音が同じということもあり、超人的な力で未来を予知する「予言者」と混同されています。『コーラン』や『旧約聖書』などに現れる「預言者」を、占い師のような存在だと誤解している人が多いのが実情でしょう。 テヘラニアン:一般的にいっても、私たちは同…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仏教の「輪廻説」が教えるもの

テヘラニアン:仏教の「輪廻説」が教えているのは、霊魂不滅説ではなく、人間は他の動物と等しく自然の部分であり、他の生物に対して支配的立場にあるのではない、と思うべきであるということでしょう。 池田:そうですね。実際にどうか、という次元を超えて、たとえば、あそこにいる鳥はもとは自分の親族だったかもしれない。ここにいる犬は菩薩が修行のために…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「鏡」の意味

あるTV番組で、「鏡」の意味を教えてくれました。 よく一般に知っている意味とは違っている、わたしの知らなかった、「鏡」の意味とは? それは、「手本」「模範」です。 美しい字を書きたいと思って、子どものころ、「手本」を見ながらきれいな字を書く練習をしていたことを思い出します。 自分の癖を自覚するには、模範となる手本が必要です。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

マイクロ・クレジット

池田:ユヌス博士の提唱したマイクロ・クレジットは、まず博士の生まれたバングラデシュで実行されました。 テヘラニアン:貧しい人々に、無担保で少額の融資をする。そして、銀行のスタッフが現地に行き、その地域で、その人にあった商売を、その人や周囲と対話しながらともに考えていく。  戸田平和研究所の研究プロジェクトでも、個々人の自立や先住民族…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

名前で認識する

池田:ここで私は、仏教とカントの「認識論」の類似点について、もう少し述べさせていただきたいと思います。人間の理性は”もの”そのものを認識することができず、それに「名前」をつける。ある意味では「名前」で限定し、自分に理解できる形にして人は何かを認識するのです。  「男」「女」、「敵」「味方」、「ムスリム」「キリスト教徒」等々。そうして分…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

想起(アナムネーシス)論

テヘラニアン:プラトンによると、人間は別の世界――完全な認識が可能な世界――つまりイデア界からやってきたが、現世に下りてくるうちに自分の出自を忘れてしまった。  ゆえに、「学ぶこと」は何か新しいものを得るというより、忘れたことを想起する過程であるというのがプラトンの考えです。ですから、彼の教育法は独特の対話術でした。そのなかでプラトン…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

人間の心にひそむ根本的な悪

テヘラニアン:私なりに言い換えれば、ブッダの出家の目的、つまり仏教の根本目的は、たんに富とか健康とかを追求するというものではなく、三つの自由――「独善からの自由」、誤った認識、つまり「倒錯からの自由」、「貪欲からの自由」――に要約できるのではないでしょうか。 池田:慧眼(けいがん)です。貪欲、独善、誤った認識――それを仏教用語では、貪…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

今の一瞬に無限の生命を生きる

池田:仏教の生死観は、生死を永遠と見ます。ただし、それは霊魂不滅説ではありません。いまの一瞬に無限の生命を生きることができるという意味です。 テヘラニアン:今、会長と話をしていて、二人の女性のことを思い出しました。  ダイアナ妃とマザー・テレサです。両人は自身を超える偉大な目的に生を捧げられ、世界の人々の心を揺さぶりました。ダイアナ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

「驚きの感覚」と「畏敬の念」

池田:今日の環境危機を早くから指摘していたアメリカの生物学者レイチェル・カーソンの言う「センス・オブ・ワンダー」の感覚、つまり他者や未知のものに対する畏敬の念が、今、失われているのではないでしょうか。すべてを予測可能なもの、既知のものと矮小化してとらえ、それを支配したり加工しようとする。また、できると思っている。 テヘラニアン:それは…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

多様性賛歌

テヘラニアン:世界の動向がグローバル化することによって、対話のさいに、おたがいの相違をめぐって交渉し合う前にまず共通のものをよく認めあうことから始める、「理論と実践」としての「普遍主義」が必要とされています。  抽象的な普遍原理から始まった十八世紀ヨーロッパの啓蒙運動とは違って、この新しい普遍主義は、人間の多様性を認め、礼賛するもので…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

人間の内なる力は何事をも可能にする

池田:ゴータマ・ブッダは日本においては、釈迦族の尊者という意味で「釈尊」と言い習わされています。その伝統にのっとって、私も「釈尊」という尊称を使わせていただきます。  詩聖タゴールは、釈尊について次のように語っています。  「インドにおける釈尊は人間を偉大なるものとなさった。カーストというものをお認めにならなかったし、犠牲という儀礼…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

現代の対話の達人

まえがき――仏教とイスラムの歴史的出会い マジッド・テヘラ二アン  池田氏は、この文明の構築に大きな貢献をされてきた。  氏は現代の対話の達人である。  この四十年間、千五百回にもおよぶ、じつに多彩な世界の指導者と対話を重ねてこられた。  そのなかには、ライナス・ポーリングからチンギス・アイトマートフ、アウレリオ・ペッチェ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

仏教の自然観について

池田:「仏教では『共生』を『縁起』と説きます。『縁起』が、縁りて起こると書くように、人間界であれ自然界であれ、単独で存在しているものはなく、すべてが互いに縁となりながら現象界を形成している。  すなわち、事象のありのままの姿は、個別性というよりも関係性や相互依存性を根底としている。一切の生きとし生けるものは、互いに関係し依存し合いなが…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more