命濁とは、生命それ自体の濁り
戸田城聖前会長は、このことについて、次のように述べられている、
「われわれの生命には、染浄の二法が存在する。清らかな生命は、外界のいっさいを、すなおにうけて、宇宙の大リズムに調和して、生命が流転するから、決して、無理はない。この生命こそ、偉大な生命力を発揮するがゆえに、人生を楽しむことができるのである。
ところが、生命の染法と申すのは、生命が幾多の流転の途上に、みな、あやまった生活が生命に染まって、一つのクセをもつことになる。そのクセをつくるもとが、欲ばり、いかり、バカ、しっと等のもので、これによって種々に染められた生命は、宇宙のリズムと調和しなくなって生命力をしぼめていくのである。このしぼんだ生命は、宇宙の種々の事態に対応できなくて、生きること自体が苦しくなるので、すなわち、不幸なる現象を生ずるのである」と。
『御義口伝講義』上
池田大作著
「われわれの生命には、染浄の二法が存在する。清らかな生命は、外界のいっさいを、すなおにうけて、宇宙の大リズムに調和して、生命が流転するから、決して、無理はない。この生命こそ、偉大な生命力を発揮するがゆえに、人生を楽しむことができるのである。
ところが、生命の染法と申すのは、生命が幾多の流転の途上に、みな、あやまった生活が生命に染まって、一つのクセをもつことになる。そのクセをつくるもとが、欲ばり、いかり、バカ、しっと等のもので、これによって種々に染められた生命は、宇宙のリズムと調和しなくなって生命力をしぼめていくのである。このしぼんだ生命は、宇宙の種々の事態に対応できなくて、生きること自体が苦しくなるので、すなわち、不幸なる現象を生ずるのである」と。
『御義口伝講義』上
池田大作著
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