もしテロリズムと戦うのであれば

ロートブラット:世界にこれほど”テロ”が蔓延するのは、暴力に依存する政策の結果であると私は思っています。  もしテロリズムと戦うのであれば、アメリカの提案するような戦略ではなく、「平和の文化」を育むことから始めなくてはなりません。  私たち大人はよく、若い人たちに、「暴力に走ってはいけない」と言います。しかし、若い人たちは、大人たち…
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病気に勝つと決意したら

 今日では科学的研究の結果、人間の脳にエンドルフィンの存在することが確かめられた。これは分子構造や効果の点でモルヒネに酷似した物質だ。それはいわば人体それ自身に備わる麻酔薬であり、弛緩薬であり、人間が痛みに耐えるのを助ける効果を持っている。エンドルフィンがどのように活性化され、血流中に放出されるか、その正確なことはまだ十分に知られていな…
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創造力こそコルチゾンの源泉だった

一日のうち二度までも、わたしは奇跡を見た。もう九十歳近くで、種々の老年障害に悩まされている人が何よりも大事な仕事があると知ると、少なくとも一時的には、苦しみを払いのけることができたのだ。その奇跡の起こり方には別に神秘めいたところなどなかった。それは毎日起こることなのだから。パブロ・カサルスにとって、創造力こそ自分独特のコルチゾンの源泉…
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「しかしまあ教えてあげましょう」

 わたしがどうして呪術医なんかに治療してもらって、すぐなおるようなことが起こるのか、その説明を求めると、シュバイツァー博士は、そんな問いはヒポクラテス以来代々の医者が隠しつづけてきた秘密を洩らせと言うようなものだと答えた。  「しかしまあ教えてあげましょう」と博士はやはり例のかすかな微苦笑を浮かべてつづけた。  「呪術医が治療に成功…
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自らを完全無欠と感じる

 わたしは精力的にからだを動かす能力を失ってしまったと感じました。もう二度と、この細胞の集まりを操ることはできないでしょう。歩くことも話すこともできず、言葉を理解することも、読むことも書くこともできず、寝返りさえ打てなかったのに、わたしがそれで良しと考えていたのは奇妙だと思いませんか? 左脳にある、現在はオフライン状態の知的な心はもう…
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人から聞いた薬

 多くの薬について問題になるのは、それが医師のめざす目的以外に、こういうさまざまの作用を持つということだ。したがって医師は常に、特定の療法と総体的な危険とのバランスを保つことが必要である。その薬が強力であればあるほど、その釣合いはむつかしい。  薬について医師のジレンマをさらに複雑にするのは、薬を自動車と同じように考えたがる人が多いと…
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からだを借りていただけ

このからだの細胞群が、素敵な仮の宿を与えてくれていたのです。この驚くべき脳は、まさに数十億、数兆のデータの断片をいかなる瞬間もまとめ上げ、わたしのために、この環境の三次元の知覚をつくり出していたのです。 それは継ぎ目のない現実であるだけでなく、安心できるもの。この幻想の中で、生物学的な細胞組織が効率よく、わたしという形をつくりだした…
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脳卒中の朝

左脳の言語中枢が徐々に静かになるにつれて、わたしは人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心がなごんでいきました。高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって、意識は悟りの感覚、あるいは宇宙と融合して「ひとつになる」ところまで高まっていきました。むりやりとはいえ、家路をたどるような感じで、心地よいのです。  …
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再生能力

 わたしはもう一つのことも学んだ。たとえ前途がまったく絶望的と思われる時でも、人間の身体の再生能力を決して過小評価してはならぬということだった。 生命力というものは地球上でもっとも理解されていない力かもしれない。 ウィリアム・ジェームズは、人類はともすれば、自分で設けた枠の中に閉じこもって生き過ぎると言った。 人間の精神と肉体の双…
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「アスピリン」 ノーマン・カズンズ

コラーゲンの生成に対して拮抗作用を持つアスピリンとは! 痛み止めの薬の中の王者はもちろんアスピリンだ。 アメリカ食糧・薬品局はアスピリンを医師の処方箋なしで販売することを許しているが、しかしこのアスピリンという薬は、一般に信ぜられているのとは逆に、危険性を持っており、つづけて使用すると、一命にかかわる潜在的な可能性を含んでいる。…
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コロナを乗り越えよう

 2021年7月29日 東京都の新型コロナウィルス感染者数が 3177人に。 コロナを乗り越えるためには基本が大事。 くまなく手を洗う。 うがいをしっかりする。 よく食べ、よく寝て、よく動く。 さらに、よく笑うこと! コウケントーを 日常の病気予防のためにも活用しよう!! 小野沢治療室 筋肉医療技術研究所 …
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感謝をもってうけとめる

 彼は、もう一度収容所の生活に戻ることさえあこがれている。すくなくとも、どんなにわずかな希望であっても、いつかはまた幸せになれるという希望を抱くことができたころのことを痛切に思い返しているというのです。このようなことがしばしば起こり得るほど、彼は不幸なのです。人間にとって、ほんのわずかであっても幸せになれるという可能性は、幸せではないと…
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心の支えー使命

 「ここで問わなければなりません。典型的な囚人になってしまったのはいつでしょうか。その人が自分の心を没落するままにまかせたのはいつでしょうか。その答えは、心の支えをなくしたときだ、心の支えがなくなったらすぐだ、という答えになるはずです。この支えは、二つのものにありました。つまりそれは将来にあるか、永遠にあるかでした。後者は、本当に宗教的…
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遺体を寄贈する?

ご存じのように、死後も科学のお役に立てれば、とさまざまな仕方で自分の遺体を解剖学研究所に寄贈する人たちがいます。けれども、医者である私の立場からすれば、人間をこのようにきわめて実際的に価値づけることは、許されてはならないことなのです。  たしかに、医者のまえには、事実が「置かれて」います。医者は、患者に対して、内面的な距離を保った態…
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お母さんのこと好き?

この手紙はごく最近ウィーンのある新聞にのったものですが、その一説に次のように記されています。 「私の子供は、体内で頭蓋骨が早期に癒着したために不治の病にかかったまま、一九二九年六月六日に生まれました。私は当時十八歳でした。私は子どもを神様のように崇め、かぎりなく愛しました。母と私は、このかわいそうなおちびちゃんを助けるために、あらゆる…
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友情を広げること

池田:この世界には、人間と人間の絆を断ち切り、世界と世界を分断する力がつねに存在しています。しかし、乗り越えられない対立など絶対にないのです。  人間精神に内在する「善」の力をもって、分断という「悪」の力と絶えず戦っていかねばならない。  そのためにも、あらゆる差異を超える「人間性」の大地に立つ、強固な民衆の連帯を築きあげていかねば…
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楽観主義

池田:「選択」という言葉から思い起こされるのは、私のよき友人であった故ノーマン・カズンズ氏の著作『人間の選択』にある一文です。  「わたしがこれまでに学んだ、いちばん重要な教訓と言えば、新しい選択(オプション)を創造し、その選択を行う能力こそ、人間の独自性の主要な要素の一つであるということである」「わたしは、人間の能力が無限であること…
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真の自由

テヘラニアン:そもそも私たちは、人生においてみずから望むことをなそうとしても、厳密な意味で完全に自由ではない。人間の自由といっても限度があります。  まず、自然や社会の環境という運命や業に束縛されています。また直接的にであれ間接的にであれ、一人一人を規定する体制(家族、学校、職場、経済、政治)、および、ある関係や活動のための忠誠心にも…
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人間のための宗教への転換

池田:仏典には、「鏡に向かって礼拝を成す時浮かべる影又我を礼拝するなり」(御書769p)という美しい譬えがあります。これは、他者の生命への尊敬がそのまま鏡のごとく、自分の生命を荘厳していくという法理を示したものです。  つまり、すべての生命に対して、自分と別ものではなく、そこに自他に共通する生命を見いだす「自他不二の礼拝」の実践を貫く…
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自分は、大きな生命の一部なのだ

テヘラニアン:私たち人間の「生」は、もっと大きな存在の一部であって、他のすべての生命体と「相互依存」の関係にあることと認識することが重要です。  そう認識すれば、個別的と思われる肉体的存在がまねく、不可避的な宿業である紛争をも解決する道を、私たちは歩めるのではないでしょうか。 池田:仏法の「縁起」の思想にも相通じる考え方ですね。「縁…
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戸田平和研究所

池田:私は、師の遺志を受け継ぎ、世界平和の実現のため、民衆の英知と力を結集する「人類共闘の拠点」として、戸田平和研究所を創立いたしました。  設立にあたって私は、研究の進め方として、世界の学術・研究機関、さらにはNGO(非政府組織)とも協力しあいながら、その国際的なネットワークづくりを進めていく――とくに、その大きな目標として研究者と…
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喜びも感じなければ苦悩も感じない

 苦悩できないそのことに苦悩するという心の病気の症状もあります。つまり、特殊な形態の鬱病がありますが、その鬱病は、普通の鬱病と違って、悲しみや不安のような情緒不安定を伴いません。その鬱病にかかった患者が訴えるのは、よろこびを感じないけれど苦悩も感じない、そもそもどんな感情活動も、好ましい体験もいやな体験も不可能だ、心理状態がにぶって感情…
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大いなるコスモス

池田: 1994年 モスクワ大学での講演より 「人間――大いなるコスモス」 ――『法華経』では譬喩をもって、それぞれの”衣服の裏”に、等しく同じ宝を、すなわち「仏性」という尊厳な「普遍の生命」を見いだすことを説いている。  そうした認識を通じて、異なる文化や民族、文明に属するあらゆる人々が、宇宙的な自己認識に到達していく、そこで…
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失業者も、人生を意味あるものにできる

職業上の労働は、自分の人生を活動によって意味あるものにできる唯一の場ではありません。職業上の労働だけが人生を意味あるものにするといえるでしょうか。多くの人たちの労働は、無意味であるばかりか機械的であることもあります。彼らは、数列をどこまでも加算したり、機械のレバーをいつも同じように動かしたり切りかえたり、ベルトコンベヤーでいつも同じ作業…
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存在は言葉より決定的

「それでは、やはりまだ決断というようなものの余地があったのでしょうか。そうだとしても、不思議ではありません。人間はありのままの存在に連れ戻されたのですが、この「実在」とは、まさしく決断にほかならないからです。  しかし、この決断にあたって、人間の助けになったものがあります。この決断にあたって決定的な役割を演じたものがあります。それは、…
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仏教の平等観

池田:仏教の平等観の根本は、他者へ尊敬です。みずからが偉いから、また恵まれているから,かわいそうな人を救うというのではなく、その行為の奥にはエゴイズムが見え隠れするでしょう。  そうではなく、他者のなかの仏性を尊敬するゆえに、利他の行動に打って出るのです。他者の仏性に奉仕するのです。これによって、利他の行動は「偽善」におちいることをま…
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言葉の奥の「意」を読み取る努力

池田:イスラム経やキリスト教、ユダヤ教では「預言者」が登場します。  日本で「預言者」の語は、発音が同じということもあり、超人的な力で未来を予知する「予言者」と混同されています。『コーラン』や『旧約聖書』などに現れる「預言者」を、占い師のような存在だと誤解している人が多いのが実情でしょう。 テヘラニアン:一般的にいっても、私たちは同…
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仏教の「輪廻説」が教えるもの

テヘラニアン:仏教の「輪廻説」が教えているのは、霊魂不滅説ではなく、人間は他の動物と等しく自然の部分であり、他の生物に対して支配的立場にあるのではない、と思うべきであるということでしょう。 池田:そうですね。実際にどうか、という次元を超えて、たとえば、あそこにいる鳥はもとは自分の親族だったかもしれない。ここにいる犬は菩薩が修行のために…
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「鏡」の意味

あるTV番組で、「鏡」の意味を教えてくれました。 よく一般に知っている意味とは違っている、わたしの知らなかった、「鏡」の意味とは? それは、「手本」「模範」です。 美しい字を書きたいと思って、子どものころ、「手本」を見ながらきれいな字を書く練習をしていたことを思い出します。 自分の癖を自覚するには、模範となる手本が必要です。 …
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マイクロ・クレジット

池田:ユヌス博士の提唱したマイクロ・クレジットは、まず博士の生まれたバングラデシュで実行されました。 テヘラニアン:貧しい人々に、無担保で少額の融資をする。そして、銀行のスタッフが現地に行き、その地域で、その人にあった商売を、その人や周囲と対話しながらともに考えていく。  戸田平和研究所の研究プロジェクトでも、個々人の自立や先住民族…
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名前で認識する

池田:ここで私は、仏教とカントの「認識論」の類似点について、もう少し述べさせていただきたいと思います。人間の理性は”もの”そのものを認識することができず、それに「名前」をつける。ある意味では「名前」で限定し、自分に理解できる形にして人は何かを認識するのです。  「男」「女」、「敵」「味方」、「ムスリム」「キリスト教徒」等々。そうして分…
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想起(アナムネーシス)論

テヘラニアン:プラトンによると、人間は別の世界――完全な認識が可能な世界――つまりイデア界からやってきたが、現世に下りてくるうちに自分の出自を忘れてしまった。  ゆえに、「学ぶこと」は何か新しいものを得るというより、忘れたことを想起する過程であるというのがプラトンの考えです。ですから、彼の教育法は独特の対話術でした。そのなかでプラトン…
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人間の心にひそむ根本的な悪

テヘラニアン:私なりに言い換えれば、ブッダの出家の目的、つまり仏教の根本目的は、たんに富とか健康とかを追求するというものではなく、三つの自由――「独善からの自由」、誤った認識、つまり「倒錯からの自由」、「貪欲からの自由」――に要約できるのではないでしょうか。 池田:慧眼(けいがん)です。貪欲、独善、誤った認識――それを仏教用語では、貪…
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今の一瞬に無限の生命を生きる

池田:仏教の生死観は、生死を永遠と見ます。ただし、それは霊魂不滅説ではありません。いまの一瞬に無限の生命を生きることができるという意味です。 テヘラニアン:今、会長と話をしていて、二人の女性のことを思い出しました。  ダイアナ妃とマザー・テレサです。両人は自身を超える偉大な目的に生を捧げられ、世界の人々の心を揺さぶりました。ダイアナ…
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「驚きの感覚」と「畏敬の念」

池田:今日の環境危機を早くから指摘していたアメリカの生物学者レイチェル・カーソンの言う「センス・オブ・ワンダー」の感覚、つまり他者や未知のものに対する畏敬の念が、今、失われているのではないでしょうか。すべてを予測可能なもの、既知のものと矮小化してとらえ、それを支配したり加工しようとする。また、できると思っている。 テヘラニアン:それは…
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多様性賛歌

テヘラニアン:世界の動向がグローバル化することによって、対話のさいに、おたがいの相違をめぐって交渉し合う前にまず共通のものをよく認めあうことから始める、「理論と実践」としての「普遍主義」が必要とされています。  抽象的な普遍原理から始まった十八世紀ヨーロッパの啓蒙運動とは違って、この新しい普遍主義は、人間の多様性を認め、礼賛するもので…
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人間の内なる力は何事をも可能にする

池田:ゴータマ・ブッダは日本においては、釈迦族の尊者という意味で「釈尊」と言い習わされています。その伝統にのっとって、私も「釈尊」という尊称を使わせていただきます。  詩聖タゴールは、釈尊について次のように語っています。  「インドにおける釈尊は人間を偉大なるものとなさった。カーストというものをお認めにならなかったし、犠牲という儀礼…
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現代の対話の達人

まえがき――仏教とイスラムの歴史的出会い マジッド・テヘラ二アン  池田氏は、この文明の構築に大きな貢献をされてきた。  氏は現代の対話の達人である。  この四十年間、千五百回にもおよぶ、じつに多彩な世界の指導者と対話を重ねてこられた。  そのなかには、ライナス・ポーリングからチンギス・アイトマートフ、アウレリオ・ペッチェ…
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仏教の自然観について

池田:「仏教では『共生』を『縁起』と説きます。『縁起』が、縁りて起こると書くように、人間界であれ自然界であれ、単独で存在しているものはなく、すべてが互いに縁となりながら現象界を形成している。  すなわち、事象のありのままの姿は、個別性というよりも関係性や相互依存性を根底としている。一切の生きとし生けるものは、互いに関係し依存し合いなが…
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人間と自然は一体

エイルウィン:人間と自然は相互依存の関係――私は根本的で自然発生的な関係、と呼びたいのですが――にあるとする「地球サミット」の確認は、当然のものでしょう。人々が生活し、歴史をつくっている自然環境や地理的環境は、前にも論じあったように、なんらかの形で人間の性格形成にかかわっています。  気候(寒冷、酷暑、温暖)、起伏(平野や山)、植物や…
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楽観主義は大切

池田:私たちの仏法は、まさにそのこと(「所有する」ことより「存在すること」)に深い関心をはらったものです。たとえば「如我等無異」(法華経130p)という仏の崇高な願いがあります。「我が如く等しくして異なること無からしめん」というのが、仏の衆生救済の大願なのです。つまり仏と同じ境涯に立たせようとするのです。  先ほどふれた全人性というこ…
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教師は学ぶ大切さを生徒に教え、自ら学べ

エイルウィン:教育への投資は未来の鍵であると確信しても、教育システムが今日の知識革命に適応しかねているのです。学び方を教えるのではなく”事物”を教える、つまり一種の暗記主義的で百科全書的カリキュラムが、時代遅れの状況になっていることも承知しています。変化の速度に合わせ、今日の学校は”学ぶことを教えること”に、生徒たちは”学ぶことを学ぶこ…
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「対話」とは、たんなる「話し合い」ではない

池田:私が先に述べた「対話」とは、もちろん、たんなる「話し合い」を意味するのではありません。たがいの存在を賭けた信念と信念の応酬であり、死をも覚悟した精神と精神のぶつかり合いであります。  人間とは、対話のなかで初めて自己を知り、他者を知る「人間」へと鍛えられていくのです。二十世紀のアメリカ最大のジャーナリストと言われるW・リップマン…
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非暴力がいかに効果的であるか

エイルウィン:この世界で、これほどまで望まれている平和は達成できるものなのでしょうか?可能である、と私は固く信じています。  それは、私たち一人一人の努力にかかっていると思います。私たちに多様性を認めながら、共存という当然の条件を受け入れる能力があるならば、また私たちの多様性や紛争を理性によって処理するならば、つねに掲げている理想や価…
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男女の平等 人間の尊厳

エイルウィン:民主主義について申し上げますと、揺るぎない信念をもたない人たちは、民主主義というものを権力および権力行使の闘争を統制するための、たんなる仕組みのように受けとめがちです。このような見方は、政治の質を低下させる危険性をはらんでいます。  ラテンアメリカや世界の地域で起こったように、さまざまな願望が満たされない状況のもとで、非…
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自由であることがいかに困難か

エイルウィン:人間の傲慢と諦観に関して、あなた(池田)は次のように述べていますね。  「人間が本然的にただ『生きる』だけでなく『よく生きる』こと、すなわち、『何のため・・・』という『意味への飢え』をいだき続ける存在であるかぎり『長く退屈な時代』に耐えることなど、とうていできないと思っております」(SGIの日、記念提言1990年)  …
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貧困問題の解決のために

池田:こうした取り組みを進めるうえで、私がなによりも第一に訴えたいのは、一人一人の人間に本来そなわる「潜在的な力」を十分に引き出すことのできる環境づくりを眼目としなければならない、という点です。  貧困の撲滅といっても、たんに物的・資金的な援助という”応急処置”だけで対処できるものではなく、むしろ長期的な視野に立ったエンパワーメントー…
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生きる意味を見失う人に

池田:仏法の時代を超えたメッセージは、縁起論に象徴されるように、いっさいが縁起、縁って起こっている、すなわちたがいに支え合った存在であると説いているのです。  つまり、そこにはなにひとつ不要で、むだなものはないのです。こう見ると、宇宙が慈悲の当体そのものであり、慈悲を顕在化させた創造的生命体といえるのです。  仏法の慈悲論は、生きる…
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人間の尊厳をいかに守るか

エイルウィン:戦うべき相手は、思想の空白、純然たるプラグマティズム(字実用主義)、富だけの満足、貧の苦痛です。これらに真剣に取り組むことは、人間性の特質としてそなえるべき意識や尊厳を求めている人々の心を受けとめ、応えていくことになるのです。個人の尊厳が全面的に認められ、その結果、基本的人権が認められている本当に人間的な世の中でこそ、自由…
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宗教間の対話

池田:宗教が長い歴史のなかで、いつしかわが身をおおうようになったドグマ(教条)を離れ、その原点に脈打つみずみずしい宗教的生命――哲学者デューイのいう、”宗教的なもの”――を謙虚にそれぞれが見すえていきながら、たがいに「対話」を重ねていくなかで得られる実りは、決して少なくないと思うのです。  かつてトインビー博士は、「今から一千年後の歴…
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言行不一致こそ、最も恥ずべき事

エイルウィン:奉仕の意思と、素質だけでは、まだ十分ではありません。節操も必要なのです。節操とは、言っていることを行動に移すこと、信じる価値観や行動原理と合致した行動をとることです。あることを唱えながら、まったく異なる事を実際に行うことを、節操がないと申し上げたいのです。 池田:分かります。言行不一致こそ、指導者にあってはならないことで…
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人の振舞い

エイルウィン:私が思いますには、基本的なことは言葉が真実であるだけでなく、言うことと行うこととの一貫性も大切なのです。古い格言が言及しているように”範を垂れ”なければなりません。  これが、最善の国民とのコミュニケ―ションでしょう。一家の父親が、その家の家族のためにどのようにふるまっているかを示す以上の、良い例証があるでしょうか。 …
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対話とは

池田:「対話」とは、人格と人格、精神と精神の交流でありそれを通してたがいに深い次元で認識していくものです。いわば、開かれた対話は、人間と人間の真剣な打ちあいといってよい。  モンテーニュは、その著『エセ―』の中で「精神を鍛錬するもっとも有効で自然な方法は、私の考えでは、話し合うこと」であり、それは「人生の他のどの行為よりも楽しいもの」…
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医師の使命

医師は一方で、科学的教養から得た統計的な真理を仕込んでいるし、他方では患者を治療するという義務を負っている。しかもその患者が心の悩みに苦しんでいるのであれば、個人的な理解が必要となる。治療が型どおりのものであればあるほど、それだけ患者の当然の反抗を惹き起すことになって、治癒はいよいよむずかしくなるに違いない。精神療法家はそこでいやおうな…
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自己認識

そもそも自我意識を持つことのできる者はだれでも、自分自身を知っていると、あたりまえのように信じ切っている。ところが自我は単なる自我意識の内容を知っているにすぎず、無意識やその内容はまるで知らない。人間はおのれの自己認識の度合いを、周りの社会の平均的人間が自分自身について知っていることを目安に量るだけで、自分にはほとんど大部分隠されていて…
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おのれの自然 内なる自然

インド人は身体と精神のいずれをも忘れない。ヨーロッパ人はどちらかをつねに忘れている。それができるからこそヨーロッパ人はさしあたり世界を征服したのであって、インド人はそうはしなかった。インド人はおのれの自然を知るばかりか、どの程度にまで自分が自然そのものであるかも心得ている。ヨーロッパ人はそれに対して自然についての科学をもちながら、おのれ…
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来るべき人類の未来へ

永遠の真理は、歴史のあたえられた瞬間にとっては、どの瞬間にあっても真ではないからだ。観念への変成は、いったん休止ののち、ふたたび始まることになる。この天才が永遠の貯蔵庫からもたらした、今のところまるで役に立たないものを消化吸収するには、時を待たねばならない。それにもかかわらず、天才はその時代にとっての治療者なのだ。なぜなら彼が永遠の真理…
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歴史の意味

 ところがここインドでは、かつて何十万回と生まれたことのないものなど、存在しないかのようである。現にこうして生きている一人一人の人間でさえ、過去の茫漠たる歳月に、幾回となく生まれ変わっていたかのようだ。この世界そのものすら、すでに何度となく存在した世界に、新たな再生以外の何ものでもない。インドの最も偉大な人物として、一人際立っているゴー…
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「元型」 個性化とマンダラ

元型はいわばどこにでも現われ、その個々の存在はけっして伝統にのみ依存しているのではない。それはちょうど本能がその種の仲介物を必要としないのに似ている。本能は新しく生まれてくる各個人に所与のものとして与えられており、主を特徴づける諸性質のうち、種と不可分の一体を成している部分である。心理学が元型と名づけるものは、本能のうち、よく現れるある…
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マンダラは円

マンダラは円を意味している。・・・それらの基本的モチーフは人格の中心・いわばこころ(ゼーレ)の奥底にある中心的な場所・の予感である。そこにすべてが関係づけられ、それによってすべてが秩序づけられ、それは同時にエネルギーの源泉である。中心点のエネルギーは、押し止めがたい勢いをもって現れてきて、その人本来の姿になろうとする。それはちょうどどの…
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希望の光 マンダラ

・・・しかもこの補償は意識のなかに統合されたのです。新しい、集合的な性格の象徴も現れましたが、しかしこのたびは秩序の力を反映したものだったのです。これらの象徴には、規矩(きく)や比率や左右対称的な配置が、独特の数学的、幾何学的構造をもって表れていました。それらは一種の車輪の軸のような形を表しており、マンダラとして知られています。ここでは…
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「イルミナティオ」

心のなかにはわれわれが不十分にしか、あるいは全然知らないものがいろいろ存在しているのだ。そしてそれらのものは少なくとも、この自然界のあらゆる事物、究極のところではわれわれの理解を越えている、にもかかわらずわれわれの肉体に極めて執拗に影響を与え続けているあらゆる自然界の事物と同程度には現実性をそなえているのだ。事実、自分の研究対象について…
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「元型」 現在と未来

 国家社会主義も、これら集団心理学的現象の一つであり、集合的無意識の噴出の一例であって、それについて当時私は、二十年近くも説いていた。集団心理学現象の駆動力は、元型的な性質のものである。元型というものはどれも、最高と最低、悪と善とを併せ持っていて、だからこそ、およそ矛盾にみちた働きをするのである。したがって、それが肯定的な効果をもたらす…
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精神病的劣等

どんな精神異常もだしぬけに空から降ってくるわけはなく、かなり長いあいだにわたる潜在状態があるものであって、それを精神的劣等という。民族にはそれぞれの心理があるように、またそれぞれに固有の精神病理がある。それは多くの異常な特徴の集積から成っているが、なかでも際立っているのが、国民全体に蔓延した暗示性である。これについてもまた、しかるべき由…
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無意識は「太古の聖なる」不可思議を

『ファウスト』という作品こそは、今日では教養ある人といえどもはっきりそれと気づかないかも知れないが、初めから終わりまで錬金術的ドラマなのである。われわれの意識は何もかも理解してみずからのうちに蔵めておくというわけにはいかないけれども、しかし、無意識は「太古の聖なる」不可思議をみずからの内にしっかりと刻み込んでいて、適当な機会があればそれ…
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「海」 集合的無意識の象徴

 海は光り輝く表面の下に予想もできない深さを隠しているから、集合的無意識の象徴である。夢見者の背後にあるもの、つまり影のごとき無意識の化身が、ここで潮のようにどっと意識の陸地に侵入したのである。このような侵入は当人には理不尽で説明のつかないものであるから不気味である。それは人格の深刻な変化を意味する。なぜなら無意識の化身の意識への侵入は…
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すべての考えを一つの帽子の下に集める(包含・包摂)

 頭を覆うものである帽子は、一般に頭を占領する(頭を占める、頭を一杯にする、心を捉える)ものという意味を持っている。包含ないし包摂のことをいう際に俗に「すべての考えを一つの帽子の下に集める alle Begriffe unter einen Hut bringen (いろいろな考えを一つの考えで要約する、一つに括る)」というような表現を…
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「有限」と「無限」ということについて

池田:「有限」と「無限」ということについて、仏教の生命観、とりわけ時間・空間という有限性、限定性を同時に超克しゆく大乗仏教の生命観には、きわめて興味深い視座が説かれています。  私の恩師は、第二次世界大戦中、軍国主義政府と戦い、過酷な獄中生活を送るなか、妙法を唱え抜き、思索を重ね、二つの偉大な獄中体験をえました。その第一が先に触れた「…
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調和と包括性

 道教、儒教、仏教の三思想はいずれも、調和と包括性を重んじ、万物は互いに影響しあうと考えていた。こうした見解のゆえに、中国哲学においては個人の権利という概念が欠落していた。それどころか、(とくに仏教の影響力が増してからは)個人の精神というものさえ認められないことがあった。十二世紀の新儒教には次のようなくだりがある。「宇宙はわが心であり、…
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”物知り”の頭の中

サド―ヴ二チィ:大学教育が学生に与えようとする百科事典的に裾野の広い教養というのは、リベラル・アーツであるべきであります。つまり、一つの学問分野を学ぶとき、つねに関連する学問を視野に収めつつ、諸学問との関係、位置づけを問いながら、学問の全体像を把握させる教授法です。 池田:重要なアドバイスです。近代日本の卓越した学者であり教育者であっ…
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創造性、多様性

 教育という面でいえば、第二次世界大戦後の日本の教育で支配的であった価値観は、大まかにいえば、一流大学を出て、一流企業や一流官庁に就職することを第一義とし、それに準じて、その最高価値を有するブランドを獲得するための手段として幼児教育や初等・中等教育も位置づけられてきました。学校も家庭も社会も、あげてその一点にエネルギーを集中し、成果を求…
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読書が持つ能動性、人間力

池田:私も、二〇〇〇年に世に問うた「教育提言」で、情報化の洪水から身を守るための最大の武器として、良書や名作に親しむことを、強く推奨しました。  読書のもつ能動性、それを持続させる忍耐力、他者の喜びや悲しみへの共感性を育む想像力等、いずれも、あふれかえる情報に囲まれて受け身になりがちな人間が、身につけるべき”人間力”です。  情報化…
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センス・オブ・ワンダー

池田:環境問題を扱った普及の名著『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンは、彼女の最後のメッセージともいうべき『センス・オブ・ワンダー』で、こういっています。  「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべ…
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利用する情報量を最低限に抑える

サド―ヴ二チィ:情報化社会では、大量の情報がつねに洪水のように流れています。私たちは、その洪水と、人間であるために必要な「基礎知識」とを区別できることが大変に重要です。  「基礎知識」とは、換言すれば精神世界と物質世界の両面を人間が正しく認識するために必要なものといってもよいでしょう。それは決して特別なむずかしい学問的理論である必要は…
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自分の分際や能力に見合っていること

池田:仏教では、対象を認識する拠りどころとして「六根」を説いています。すなわち、①眼根(視覚器官と視覚能力)、②耳根(聴覚器官と聴覚能力)、③鼻根(臭覚器官と臭覚能力)、④舌根(味覚器官と味覚能力)、⑤身根(触覚器官と触覚能力)、⑥意根(思惟器官と思惟能力(の六つです。  それらをとぎすまし、総動員しなければ、対象を正しく認識すること…
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