命名による世界観形成

サド―ヴ二チィ:コンピューター世界における擬人化現象に気づくのは容易なことです。まず・・・。 池田:それは、言語人(ホモ・ロクエンス)としての人間の本質に由来しています。コンピューターに限らず、自然といい宇宙といっても、人間がそう名づけているにすぎず、名づけたとたんに「人間的自然」「人間的宇宙」以外の何ものをも意味しません。そこに、命…
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教育のコンピューター化?

サド―ヴ二チィ:ただし教育のグローバルなコンピューター化を支持する人々の着眼点は、むしろ技術的な側面にはないのです。彼らは、それによって、教育を「集団から個人」にシフトさせることが可能になると期待しているのです。この点については、私が発したい疑問はたった一つ、教育をあえて個人化させる意味と価値がどこにあるのかという点です。  はたして…
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「リズム」について

 リズムというのは、私は一つの命を吹き込む、一つの動作というふうに思います。リズムというものがないと、例えばリズムに似たものがそこにあったとしても、本当のリズムというものがそこになければ、どんなに頑張っても命がそこに吹き込まれない。ですから、リズム=命の源というふうに思います。 196p 『ヴァイオリニストは音になる』 千住真…
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手指のこわばり

「手の指がこわばる」とは? どのような意味か分かりにくいですね。 しかし、患者さんの訴えたいことはよくわかります。 症状も一つとは限らないし、部位もさまざま。 ・指が動かしにくい ・指の変形 ・腫れ ・痛み ・擦れるような感じ     等々 病名も、 ・結節 ・ばね指 ・手根管症候群 ・リウマチ    …
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ソフト・パワー「対話」

対話とは、異なる世界に生きる人間を理解するプロセスに他ならない。また対話とは、双方がそれぞれの文化のなかで異質の経験をしてきており、異なる情報を蓄積してきていること、そのために認識の隔たりがあることを前提とし、受容し合うことでもある。  それは、差異を乗り越えて理解にいたるための努力と寛容を要する労作業である。ゆえに真の対話は多様性を…
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「共業」 「仏性」

池田:したがって、人間の営みであるそれぞれの階層の「共業(ぐうごう)」も、個人から家族、民族をへて、人類、大自然へと開かれていきます。  異なる伝統(共業)が、それぞれに差異の相を示しているからといって、そこに執着しているのは生命の表層次元にとらわれるからであって、深層へと降り立ってみれば、そこには必ず、人間の名において共振し合える生…
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「共業」ー伝統

サド―ヴ二チィ:私は、「伝統と近代化」の問題を「時間」との関係のうえでみていくことが重要であると考えます。そうすることによって、伝統と近代化を、いってみれば「時間の設計者」ととらえることが可能になり、「伝統」と「近代化」の鋭い拮抗を和らげることになると思いますが、この点についてお考えをお聞かせください。 池田:伝統と近代化を「時間の設…
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循環的時間のなかに

池田:ところで、循環的リズムを繰り返すといっても、同じものが繰り返し再現されるのではなく、それらを統べるものとして、中国的にいえば「道」、仏教的にいえば「法」が貫流しており、その「道」や「法」にのっとって時間は無始無終に流れていく――大まかにいえば、そのような構図になろうと思います。  大切なことは、そうした歴史観、世界観、宇宙観が、…
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「共に生きる」

池田:ピョートルの改革については、賛否両論があるでしょうが、それはさておき、近代化の延長に位置づけられる現代のグローバリゼーションーー民主主義や市場経済の要請に対しても、性急な対応は禁物であり、それぞれの伝統や民族性を十分に考慮しつつ、無理なく内発的に進めていくべきでしょう。 サド―ヴニチィ:内発という視点の重要性については、私が重ね…
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「世間」で成功するかは関係ない

 父が若かりし日につけていたその日記には、父からは一回も聞かされなかった壮絶なほどに苦しい生活の様子などが書かれていて、私たち子どもは皆大変ショックだった。いつもにこやかな父の知られざる過去を知り、それらを思い合わせると、「すべての言葉は意味があって言っているんだ」と気付かされた。  そうなのだ。父が私たちに言いたかったことは・・・。…
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「世間」という集団意識

池田:こうした集団主義が、日本人の個性を、影の薄いものにしているのです。個人を立てるよりも他人の眼、世間の眼を気にする、意見を通して摩擦を生むよりも、和を尊ぶ――おとなしくて”お行儀”がよいわけです。  よく、国際会議の場で日本人の行状が、三つの”S”、すなわち「微笑(スマイル)「沈黙(サイレンス)」「居眠り(スリープ)」(笑い)など…
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自由はつねに相対的

池田:絶対的自由主義者のように、何でも思いどおりになるということが、人間の本当の欲求にかなっているのか、それが人間に、真の充足感、幸福感をもたらすのか――よくよく考え直してみなければならないことです。  地球環境という客観的条件の面から考えても、人間が、今日の先進国並みの生活様式を維持し続けようとすれば、この有限の球体(地球)が養うこ…
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欠陥の悩みがなくてはならない

 錆がついて初めて貨幣にも本当の価値が出てくるというタレスの逆説的注釈は一種の錬金術的パラフレーズであって、その言わんとするところは結局のところ、影なくしては光は存在しない、不完全さなくしては心の全体性は存在しないということ以外の何ものでもない。生の完成のために必要なのは、終結的完全ではなく、持続的完全なのである。そこには「苦の種」が、…
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六根 六識

六根  眼、耳、鼻、舌、身、意の六根のことである。  根とは、生命には、対境に縁すると即時に作用する機能が本然的に備わっており、その機能の根源を根という。  六根の対境にあたるものが、六境または六塵(色、声、香、味、触、法)で、六根が六境と関係して生ずる感覚を六識という。  たとえば、生命には眼根があるために、色境に縁すれば眼識…
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膝と痛み

「膝と痛み」と「膝の痛み」では、意味がまるで違う。 これらに共通する「膝」とは何なのか? 多くの人が無意識に使う言葉・・膝 膝とは骨ではなさそう。 なぜなら? 膝という骨は存在しないから。 一般によく使う膝の皿とは、「膝蓋骨」のことを表現するのだと思います。 膝の皿が痛いといって医者に行く人はいるのでしょうか。 医師も治…
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人間の知的成長の過程

サド―ヴニチィ: ――ある時ふと、人間は「火とは何なのだろう」という疑問をもった。そして炎を見つめ、その美しさ、多様な姿を見ながら、いったい、この火とは何なのかと考え続けていった――。  この疑問は何百万年も前からあったにもかかわらず、いまだに完璧な学問的な答えはありません。これは火に限ったことではありません。たとえば*球電をとって…
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自分だけの特徴

 LSDを売ってより、LSDを使って自分たちを売りこみたいのさ――大学生の連中に。かれらには自分だけの特徴ってものが何ひとつないんだ、ベン。だから自分らの仲間連中と違って見えることに懸命なんだ。 これは現代に生きる若者の苦悩を見事に把えている言葉である。お金があって時間があって、好きなことは何でも出来るようでありながら、「自分だけ…
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ジョージはウィリアムも嫌いであった

 本当に他人と違っているのではなくて、違っていると見せかけようとつとめている人間を、ジョージは嫌っていた。本当に頭がよいのではなく、頭がよいように見せかけようとしているやつを。ジョージは好奇心があり、ものごとの内面を見ることのできる人間が好きだった。ウィリアムはそんな力はふみつけにして(かりにあったとして、だけど)、そのかわりに見栄を張…
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大通智勝仏

大通は心王なり智勝は心数なり  天台宗、華厳宗などでは、識を九つ立てて、第九識の阿摩羅識をもって、如来蔵識、清浄識といい、これを心王と立てる。心王とは心の主体をいい、心数とは心王に対する語で、心にともなって起こってくる作用をいう。結局、生命の本体と、生命の働き、すなわち体と用の関係であり、心王・心数で俱体俱用をあらわす。また一念三千で…
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巨大都市における教育のあり方(池田大作)

サド―ヴニチィ:このような生活のどれもこれもが、いかにも奇妙な感じがします。しかし、「第一グローバル革命」を喧伝し、指導する人々が描いている青写真は、まさしくこのようなものです。 池田:そのようにして、徹底して自然を排除していく方向性は、はたして不可避なのでしょうか。私は、そうは思いません。  その種のグローバリゼーションには、重大…
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巨大都市における教育のあり方(サド―ヴニチィ)

サド―ヴ二チィ:「伝統と近代化」の観点からすると、「巨大都市における教育はいかにあるべきか」という課題は、決して遠い将来のことではなく、すでに今日実感を伴った問題となっています。  そのあるべき姿を断定するとはできませんが、ただし、一種の「都市の本能」なるものを発達させることは必然と思われます。つまり、ただ生活するのではなく、自然のな…
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「知恵の全体性」「知識の個別性」

池田: 個のなかに全体を見出す、生き生きとした感性。宇宙の森羅万象が互いに関連し、依存し合いながら、絶妙なハーモニーを奏でていると見る知見。私がモスクワ大学での二度目の講演(一九九四年五月一七日、「人間ー大いなるコスモス」。)で申し上げた仏法の「縁起」ー”縁りて起こる”とあるように、個別性よりも関連性を重視するーの思想を示す美しい譬喩で…
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類は友を呼ぶ

サド―ヴニチィ:ノルウェーの作家H・ヒュドモンドは、「一流の人物の周りには一流の人物が集まる。二流の人物の周りには三流の人物しか集まらない」といいました。  その意味では、モスクワ大学がロシアの学術、教育、文化の最高峰を担う人々を学内に招聘して歴史を刻んできたことは、大変に重要だったといえます。一流の人物は、自身の姿を通し、また自らが…
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老人になって何もできなくなっても

 われわれがアイデンティティを考える場合、何かをすること、したことに頼っているのが多いことに気づく。私は入学試験に合格した。私はあのビルディングを建てた。私は大変なお金をもうけた。この考えが発展してゆくと「一流病」になる。これに対して、タリューラは「何もしないでいる」ことも、アイデンティティを支える要素となること告げている。このことが腹…
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「問題児」

 作品が「叫び」を内在していると言えば、灰谷健次郎『兎の眼』(理論社)も、多くの叫びを内在している作品である。実に多くの人に読まれた有名な作品で、今さらその内容について紹介する必要はないであろう。小谷芙美という若い新任の女性教師が、主人公といえば主人公である。小谷先生が苦労を重ねながらも、子どもたちの心の奥深いところと接してゆけるように…
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子どもがトリックスターを

 トリックスターとは、世界中の神話・伝説・昔話のなかで活躍する一種のいたずら者で、策略にとみ神出鬼没、変幻自在で、破壊と建設の両面を有しているところが特徴的である。  子どもがトリックスター役をすることは、日常生活においても、気をつけて見ていると、実に多いことがわかる。親類縁者が集まるとき、自分がいちばん偉いように権威をふりまいて…
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秘密

 ある五歳の女の子が、痴漢に襲われそうになり、大変な恐ろしい感情体験をした。しかし、彼女はこのことを誰にも話さなかった。母親には話そうとしたのだが、どうしても言うことができなかった。その後、彼女が成長してゆく間に多くの不幸が重なり、その不幸はこの幼児期の体験の秘密を中心として、心のなかに強いわだかまりをつくり出した。三十歳近くなって結婚…
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未来のために生きる

 凡夫すなわち一般的な人間は、催眠状態という特殊な状況のもとでしか過去の人生を想起することはできませんが、思い出せるか否かということは別にしても、現在の自分が過去の行為の結果であるということが事実であるとすれば、私たちは、原因・結果の法則に対して無関心ではいられません。  もちろん、過去を修正することはできません。ただ未来に臨んだ時、…
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医師あたま

 お尻が突然痛くなり、すぐに医者に診てもらうことに。 「お尻がものすごく痛いのですが」 ”お尻”と伝わらなかったのか? ”腰”のレントゲンを撮ってくれた。 「骨粗鬆症です」 痛みがひどく、やっと家にたどり着いた。 翌朝、ビックリ! あれだけの痛みが無くなっている。 レントゲンが効いたのかな? 小野沢治療室 筋肉医…
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大人になるということ

 おとな           中谷 実  だれか人がくると  ぼくを見て  「大きなりはったね」  「もう何年生です」  「こんど三年」  「そう早いもんね、  こないだ一年生やと  思っていたのに」   といってあたまをなでてくれる  おとなは  みんなおなじことをいう(1)  子どもはそのなかに無限の宇…
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わが己心の仏界 薬草喩品

 五識とは、眼、耳、鼻、舌、身、の識によって、意の識が含まれないゆえに、行動それ自体が五識といえよう。雨が降り、風が吹き、雲が湧く外界の状態それ自体を感ずる姿である。六識になると、意識が加わり、われわれの通常の日常心である。五識にかなった比量や推論をするようになる。すなわち、五識ではまだ縄を蛇と見あやまったりするが、六識はそのようなこと…
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己の「存在」の主張

いじわるばあさんは戦後の若者文化に対して、精一杯の抵抗を示す。レストランの不作法なウェイトレスは、ばあさんのこうもり傘の手練でひっくり返される。レストランの主人はばあさんを追いかけてきて、「いつもオレはあのこにゃ泣かされていた」と泣きながら感謝する。これなど、若者のみならず若者に対抗できぬ中年者もこみにして、一喝されているのである。若者…
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