舎利弗

 舎利弗を空、仮、中の三諦に立て分け、またその漢語訳の「身子」を色心の二法に見ていくということと、釈尊の十大弟子の一人である舎利弗との関係を考えてみよう。たしかに、舎利弗という名の人は実在していたに違いない。実に頭がよく智慧第一といわれるぐらい、釈尊の説法をよく理解した人いわれている。しかし、法華経は、万人に通ずる方程式を示したものであ…
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仏教上の経とは

 経とは、仏典の経文のことだと、世人は思っている。しかるに仏教上の経とは、決してそれだけを意味するものではない。宇宙の森羅万象の語言、動作、ことごとく経である。賢哲の言動も経であれば、一凡愚のさけびも経である。この経は、そのもの自体の真理と価値を表明する。ゆえに非情より有情の経は高く、有情のうちでも、ネコ、イヌより凡夫の経が高いのである…
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完全な人間

ユイグ:こうして、人間について引きだそうとしている概念がこの私たちの対話を通して、明確になってきたわけですが、必要なことは、完全な人間、全体的な人間をめざすことです。それを私は、歴史的な意味においてでなく、もっとも広い意味で、ヒューマニズムと呼びましょう。そして、この完全な人間とは、三頭立ての馬車になぞらえられます。一頭は感受性であり、…
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短気

池田:人間だれしも欠点をもっています。これにも、身体的・精神的の両方がありますが、短気という一例を考えてみましょう。短気といえば性格的欠点と見られがちですが、逆にいえば、行動的という長所にもなりえます。それは、そのあらわれる場面によって、欠点ともなれば長所にもなるわけです。もし、このことを自覚して、欠点としてあらわれる可能性が大きい場合…
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境智冥合

 舎利弗が法華経の説法を聞いて、いったい何を悟ったのか、それは、事の一念三千の南無妙法蓮華経を悟って成仏したのである。この妙法に合掌することが、境智冥合であり、真の合掌になるのである。ゆえに舎利弗にせよ、凡愚のわれわれにせよ、事の一念三千の当体に向かって唱題修行するとき、空仮中の三諦、法報応の三身を覚知することになるのである。 一…
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真実の自由は智慧によって

池田:”地獄”とは、日本語の意味は、大地の中にある牢獄ということで、いうまでもなく、牢獄とは自由のないところであるからです。仏教の教えにおいても、地獄を説明するのに、縛られ繋がれて自由がないことだといっています。  それに対して、仏とは覚り、智慧を得た人ということであって、それだけをみると、自由という概念と無関係のように思えます。しか…
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「宿業」

池田:宿業は、その個体が発生したとき、すでに生命の根源にはらまれている業をいいますが、いまいったことからすると、それには、生理学的な業と心理学的な業とが含まれるということになります。  生理学的な業とは、体質とか身体上の遺伝的な特徴を形成するもので、一方、心理学的な業とは、精神的資質の基盤をなす潜在的な要素をつくっています。そして、生…
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意識とは

池田:唯識論は、この”識”を焦点にすえて、生命の営みの過程をとらえ、さらに、生命の内面の領域へ解明の歩みを進めていきます。  まず、眼、耳、鼻、舌、身(皮膚)の各感覚器官のそれぞれに”識”があるとされます。たとえば眼の識は、眼という感覚器官をとおして外界を認識します。しかし、これらの”識”は、一面的な認識しかできませんから、そこから伝…
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山が険しいほどより大きな喜びが

池田:自己と外界との関係において得られる喜びも、不動の強い自己が確立されれば、いっそう幅が広くなって多くなりますし、いっそう長つづきするものになります。たとえば、山に登ることは、病気で体力のない人や、山登りの技術も、その山についての知識もない人にとっては、たいへんな苦しみであり、また危険なことでしょう。しかし、健康で体力があり、技術も知…
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逆流性食道炎

病院で「逆流性食道炎」と診断されたら、治療はコウケントーで行うことをおススメします。 服薬による治療法もありますが、やはり、副作用の危険性は避けたい。 ストレスに原因があるのなら、光線をあてることでリラックスする効用もあります。 光線治療の方法です。 カーボンは、3001と4008を使います。 足の裏を10分 膝・腹・腰を各…
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円融三諦の原理

池田:空諦とは生命のもつ知恵の働きで、たとえば花が咲いたり、人間が話をしたりする、それぞれの行為をとおしてあらわれる存在それ自体の活力のようなものが空諦の側面です。  仮諦とは「すべての生命体は仮に和合して存在している」との観点から、その生命体自信を調和あるものとしていく側面をいいます。  また中諦とは、一切の存在の根底にあって、そ…
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仏教医学の特徴

池田:中国の天台大師は、病気の原因について四大の不順は最も表層的な場合にすぎず、他に五種類の場合があることを解明しています。その最も深層に原因をもつ場合が、業による病です。そこに、人間心理からさらに生命の深層に光を投げ入れた仏教医学の特徴があるのです。九識論にみられる生命の深層世界への仏教の探求の軌跡は、そうした心身にわたる病気に取り組…
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煩悩による心身の乱れ

池田:仏教では数多くの煩悩を明かにし、この煩悩によって心身の乱れがひきおこされるとします。そして、この煩悩を生ずる原因は、業としての各人の生命の根源にはらまれたものにあるとするのです。  仏教医学の観点からすれば、たとえば精神分裂症は、さまざまな煩悩による自我の分裂ととらえます。躁うつ病は、煩悩の働きによって生命のリズムが周囲のリズム…
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原初の統一性への復帰

池田:仏教が、その信仰実践の根本として教えているのは、あなたがいわれた「万物がそこから出た原初の統一性への復帰」ということにほかなりません。この”原初の統一性”を仏教は「妙法蓮華経」と説きました。そして、仏教は、この根源の法に、”南無”することを教えます。”南無”とはサンスクリット語であり「命を帰する」「そこへ帰って一体化を取り戻すこと…
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「空虚」を意味する「空大」

池田:自然の調和の破壊は、日・水・風の巨大な災いをひきおこすとともに、私たちの生命の拠って立っている土台を破壊し、滅亡を招くことになるのです。 もう一つの空大は、空虚という意味の示すように、地・水・火・風の四大を包む広大な宇宙の空間であるとともに、地・水・火・風すべてを生み出す根源のエネルギーを秘めた”場”それ自体でもあります。それは…
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人間と宇宙を融合する

池田:仏教は、まさしく自然との融合を大事にしており、宇宙の万物を構成している要素を地・水・火・風・空の”五大”とし、自然そのものも、人間自体も同じこれらの”五大”から成っているとしています。そして、宇宙・自然の”五大”に不調和が生ずれば、人間を構成している”五大”にも不調和が生じ、やがて人類は滅亡におちいると教えています。  仏教史上…
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「積極的自由」

 個人に安定感をあたえていた第一次的な絆がひとたび断ち切られるやいなや、そして個人がかれのそとに完全に分離した全体としての世界と直面するやいなや、無力感と孤独感とのたえがたい状態にうちかつために、二つの道がひらかれる。一つの道によって、かれは「積極的自由」へと進むことができる。かれは愛情と仕事において、かれの感情的感覚的および知的な能力…
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「・・・からの自由」

 孤独と無力の感情はジュリアン・グリーンの次の一節に美しく表現されている。「われわれは宇宙とくらべればほとんど数えるに値しないことを私は知った。またわれわれは無であることを私は知った。しかしそのように徹底的に無であることは、ある意味では、圧倒的であると同時に、安心させることのようにも思われる。人間の思考範囲を超越した形象や次元は、まった…
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宇宙的真理の覚知

池田:私は、現代の危機を打開する力の源泉を仏教は、まちがいなく秘めていると信じています。それは、人間に自らの深い心理を覚知させることを根本にして、主体性と寛容性を確立させる教えであるからです。  ”主体性”とここで私がいう意味は、本能的な欲望や衝動に引きずりまわされないことであり、したがって、物質主義への指向性に負けないことです。それ…
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こむら返り

夜中に突然、足がつった。 しばらくの間、激痛に耐える。 目をさますと、足を地につけられなくなっている。 病院に行くべきか?それともしばらく、様子をみるべきか? ひんぱんに足がつるようになり、病院で相談してみようと思う。この場合、どこに行けばいいのか?周りの人にたずねた。 すると、私だけではなく多くの人が足のつりを経験しているこ…
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「劣等感」自分を過小評価すること

ジム:ねえ、ローラ、君の悩みの種は何なのか、僕の考えを言おうか?インフェリオリティ・コンプレックス!知ってる?自分を過小評価すること、つまり劣等感! ぼくもそれに悩まされたからよくわかるんだ。もっともぼくの場合、きみほどひどくはなかったがね。ぼくがやっとそれから脱け出したのは、弁論術のコースをとり、声を鍛え、自分に科学への適性があると…
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仏陀とは”覚知した人”

池田:仏教がめざし、到達し、そして人びとに教えているもっとも根本的なことは、人間自身の究極的な自己認識でした。仏陀とは”覚知した人”という意味で、その覚知したものは、結局、自己の本源的な存在そのものです。  本能的欲望や愛あるいは慈悲は、あえていえば、生命自体の発揮するエネルギーのかたちであるといえましょう。本能的欲望は、自己の生命を…
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向学の心

四季の励まし  きのうよりはきょう、  きょうよりはあすと、  向上の坂を上りゆく、  みずみずしい生命力と  学びの姿勢が  あるかどうかで、  人生の勝利が  決定づけられることを  忘れてはならない。  新しい知識の習得のみが、  学ぶということの  本当の意味ではない。  最も重要なことは、  学ぶこ…
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エドヴァルド・ムンク

ユイグ:表現主義の登場以来、内面の抑えがたい苦悩が、より重要な表現主題となったのです。これは、だいたい一八八〇年ごろ、とくに北欧であらわれました。そのころ、芸術においてと同様に文学においても、スウェーデン、ノルウェーが前衛の国という様相を帯びていました。文学ではイプセン(ノルウェーの詩人・劇作家)とかビョルンソン(ノルウェーのノーベル賞…
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自発的な活動

 すべて自発的な行為において個人は世界をつつみこむ。かれの個人的自我は損なわれないばかりか、いっそう強固になる。というのは、自我は活動的であるほど強いから。物質的財産の所有であれ、感情や思想のような精神的な能力の所有であれ、所有そのものには何ら純粋な強さはない。また事物の使用や操作のうちにも強さはない。われわれの使うものは、われわれがそ…
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不安の反動

ユイグ:現代人においては、神経系統およびその背後にある精神の働きは、非常に乱されています。それは、とくに、規模が大きくなり有害性を増しているこうした都市地域においてそうです。こうした前例のない、しかもますます重要度を増している事態を理解するためには、最近よくみられる科学的専門用語のような言葉を新語として使わなければならなくなったのです。…
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原子力エネルギーの問題

 池田:とくに原子力エネルギーの問題は、たんに資源の有限性というだけにとどまらず、たとえ、資源は残されていっても、消費した結果として生ずる廃棄物が人類の生存を危うくしてしまいますから、なおさら深刻です。石油資源の場合も、その使用ずみの廃棄物質が大気や水を汚染しますが、原子力エネルギーの場合は、その何倍も大きな危険を含んでいます。  私…
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家宅侵入し続ける広告

 ユイグ:精神的受動性は、しだいに本物の奴隷状態へ導くでしょう。私も何年も前から”イメージの力”という問題に取り組んできました。広告が、もはや一種の家宅侵入でしかないことは明らかではありませんか。それはいまや独裁政治です。統計によると、ある製品の宣伝が、しつこく命令的に繰り返されると、ついには主婦は、いやでも買うようになってしまうといい…
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慈悲と愛の違い

 慈悲とは、愛、僧のごとき相対的なものではなく、絶対的なものである。慈とは楽しみを与え、悲とは苦しみを抜いてあげる義をいう。キリスト教で説く愛とは、根本的に違いがあり、自他共に永遠に救済しきる働きが含まれているものである。  しかも、慈悲とは、修行によって得られるものではない。大御本尊を信じ、唱題していくときに、自然と仏の慈悲の境地に…
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避妊は背徳か?

池田:かつて、人類が人口を抑制する最も手っ取り早い方法は戦争でした。そのほか日本では生まれてきた子を殺す「間引き」も、貧しい民衆の間で行われた、生き延びるための悲惨な知恵でした。今日では、そのどちらも絶対に行ってはならないことです。やはり、人口抑制への、理性的な唯一の有効な方法は避妊でしょう。私は、生まれ出てくるべき子をあらかじめ抑制す…
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化学物質を体内に取り込む

ユイグ:私たちの体は、植物または動物の肉といった、生物学的につくられたものを吸収するようにできています。人工的に得られた物質をそこへ無謀に入り込ませることは、その機能を乱す結果になる恐れがあります。私たちの知能は一面しか見ないで満足していまい、直接的な結果しか見ようとせず、こうした問題については間違った計測をしています。そのため、予期し…
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九識論 自由

 すなわち、人間は、他に類をみないほど優れた存在にもなりうる一方、他のなにものよりも恐ろしく卑しい存在にもなりうる”自由性”をもっているということができます。自由性とは、いいかえれば、不安定さです。この自由を、人間が価値あるものにすることができるかどうかは、自己を正しく認識するとともに、自己を規制・支配できる力を各人がもつかどうかにかか…
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