小野沢治療室

小田急線の町田駅から徒歩で15分位。 町田街道、旧町田街道、鎌倉街道に囲まれた住宅街にあり、鎌倉街道沿いにある「もち吉」というお菓子屋さんのすぐ裏に位置する治療室。 近くには、市役所、警察所、郵便局、保健所などがあり、生活するにはとても恵まれています。 紺野治療室で七年間、学ばせていただき自宅で開業。治療師生活も三十年になりま…
コメント:0

続きを読むread more

公明党と創価学会

マルロー:創価学会のメンバーはどのような活動をされているのですか? 池田:文化の専門分野などにおいては、芸術・学術・教育・文学・医学、そして政治・経済等あらゆる領域にわたっています。 マルロー:政治のほうは? 池田:自然の流れとして公明党といえます。ただし、純粋な信仰が政治の手段にされてもならないし、また宗教が政治の複雑性に巻き込…
コメント:0

続きを読むread more

唯識論

 とくに仏教においては、仏教者の実践と思索の積み重ねによって、生命の構造に関する詳細な理論が構築されてきました。  このような仏教の理論の中で、西洋の哲学でいう認識論とともに、今日の精神分析学とも深くかかわる問題の一つに、唯識論があります。この唯識論というのは、たんに認識上の理論にとどまらず、その認識という作用をなす主体の生命を問題に…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 仏陀

 仏教の実践者が努力してきたことも、外界からの束縛と自己の内なる運命の力を克服するために、より高度な精神的生命を開拓することであったといえます。  すでに申し上げたように、そうした精神的生命を支えるもっとも力強く、広大な基盤は、アマラ識と呼ばれる第九識にあり、これを自ら覚知するとともに顕している人を“仏陀”と呼びます。本来、アマラ識は…
コメント:0

続きを読むread more

パートナーに関心を持つ

今や愛の課題――結婚と幸福で有用な家族生活の構築――の解決について扱おう。夫への主な要求は、パートナーに関心を持つべきであるということである。人が別の人に関心があるかを見ることは、非常に容易である。もしも関心があれば、パートナーと同じことに関心があり、パートナーの幸福を自分自身の自発的な目的にする。関心を証明するのは愛情だけではない。万…
コメント:0

続きを読むread more

エディプス・コンプレックス

大体において、現代の心理学者たちは状況を誤解してきた。例えばエディプス・コンプレックスというフロイトの理論においては、少年は母親と恋に落ち、母親と結婚したいと思い、父親を憎み、殺したいと思う傾向を持っている、と仮定されている。このような誤りは、もしもわれわれが子供たちの発達を理解しいれば、決して起こりえないだろう。エディプス・コンプレッ…
コメント:0

続きを読むread more

仏教の永遠の生命観

北川:仏教の永遠の生命観というと、非常に虚無的な色彩が濃く、死の準備のための思想という受け取り方も一部にあるようですが、そうではなく、この現実の人生をもっとも深い意味で楽しみきって生きていく道を教えた宗教である、ということを認識する必要がありますね。 池田:そのとおりです。たとえば、浄土宗等においては、この世は穢土であり、人生は一切が…
コメント:0

続きを読むread more

「回向」 「追善供養」

 池田:死せる生命には、自己変革の力がありません、みずからの行動を通じて、仏界をくみだすことはできない。  しかし、正者の側から送りこまれた仏界が、その生命の基底部を揺り動かし、傾向性を変えていくことはできる。  生きている私たちの周囲にも、みずから仏界を顕現させることによって、はつらつとした生命力を得て、みごとに地獄界や餓鬼界を脱…
コメント:0

続きを読むread more

生を取りもどす力

 北川:地獄界に色づけられた生命が、限りないほどの長期間にわたって死にとどまるのに対して、仏の生命は、死から生へとすみやかに転生していくその理由は何でしょうか。  池田:地獄界の「如是力」には、蘇生への発動性が、非常に弱いといっていいでしょう。  それとはまったく対照的に、仏界には、たとえ一瞬の死を迎えても、ふたたび生を取りもどす根…
コメント:0

続きを読むread more

生命の傾向性

池田: 個々の生命には、十界のすべてがそなわっている。だから、私たちは、縁によって瞬間瞬間、十界のいずれの生命観をもいだき、どのような境涯をもあらわしうる可能性をもっている。  にもかかわらず、現実には、地獄界を基調とする生命体もあれば、餓鬼界を基調として、絶えずそこに戻っていく個体もある。それを生命の傾向性と呼んだのだが、地獄を主た…
コメント:0

続きを読むread more

死とは生命の大海と一体になる

 生命は死によって無に帰するのではなく、個体から、さらに広大な地球、宇宙へと合流していくと考えるべきでしょう。その様相は、次のようなたとえから思索すれば、やや明瞭になるのではないかと思う。  本書の「身体と心」の章で、私は、人間生命の状態を、大海に浮かぶ氷山にたとえました。氷山の海面から出ている分野が、意識的な精神作用とそれにともなう…
コメント:0

続きを読むread more

医学では死をどのようにとらえているのか

 川田:私自身医学を学んでいますが、じつは、そのところが、私も疑問なのです。医者が死を知らないというと、不思議に思う人もいるでしょうが、どの医学書をひもといてみても、死を定義した個所はないのです。それどころか、どういう現象が起きれば死と考えるか、ということすら明確ではありません。ただ、習慣的に心臓の停止、呼吸の停止、それから瞳孔反射が消…
コメント:0

続きを読むread more

人類誕生の条件

 宇宙のいずこにおいても、生きとし生けるものの生死流転の底に、宇宙本源の生命が息づいているかぎり、その生命にふれるところには、宗教的心情の胎動があり、偉大なる進化の飛躍がうながされているはずです。地球上における場合には、最も原始的な生命が姿をあらわしてから、三十億年にもおよぶ生命進化の基盤があった。その底には、たえず、宇宙本源の生命の脈…
コメント:0

続きを読むread more

自然との調和

 現代の私たちの社会では、人間が健康と安楽と安全を見つけだそうとする方向は、自然と調和をとった生活でも、季節の法則に従うことでもない。保障とその医学的な補いとで、これらの問題のすべてを解決するように求められている。そして、じっさい、十分な法制、規制、注射によって、人間は大多数の致命的な病気を有効にコントロールできると考えるのも、無理はな…
コメント:0

続きを読むread more

宇宙生命の内在力

 少なくとも、生物形成の素材というか、原料があり、生命発生をうながすにたりる条件がそなわっているところでは、それは宇宙内在の生命への傾向力による、というふうにいうことはできるでしょう。  しかし、だからといって、そうした環境を発見できるところに、かならず、予想しうる生命体が誕生しうるか、といえば、そうは断定できない。たとえば、高まりつ…
コメント:0

続きを読むread more

一念の心

 仏法で「一念の心」というと、瞬間、瞬間の生命とも考えられるが、実は生命それ自体ということなのです。つまり、私たちの生命全体像といってもよい。瞬間の胎動として顕在化する人間生命を、ただ、その現象面のみを追って皮相的にとらえると、「三重秘伝抄」の問いにあるように、「一念微少」との感をまぬかれないかもしれません。  しかし、瞬間ごとの流転…
コメント:0

続きを読むread more

変形性膝関節症と筋肉の関連

 膝の痛みを、内側に感じる場合、変形性膝関節症と診断するらしい。  レントゲンによる診断では、異常を見つけるのはとても難しい。 それは何故か? 骨には、痛みを感じる神経は存在しないからだ。 痛みを感じるのは骨ではなく、筋肉。しかも、筋肉の先端である骨との付着部付近に痛みを感じてる。  原因と考えられる筋肉とは。 半膜様筋、も…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 健康と人生3

 仏法では人間の「生」については、人間の「死」と同様にプロセスとしてとらえています。  受精・受胎によって「生命」が宿ることを示されています。仏典によっては、「中有身」が宿るとも、「識」が入胎するとも示されています。  この「識」は、「阿頼耶識」をさします。”輪廻”を認める立場から表現すれば、「中有身」とも言えましょう。この「阿頼耶…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 健康と人生2

 九識論には、動物と人間の間に差別をつける指向性はありません。仏法では、人間の「死」を、意識のある「第三段階」、無意識ではあるが、外界に反応する「第二段階」、そして深い昏睡におちいり、すでに外界との対応がなくなった「第一段階」へと、しだいに移っていくプロセスとして、連続的にとらえています。  したがって、「第三段階」から、「第二段階」…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 健康と人生1

 博士があげられた「生命の三段階」に関すると思われる、仏法の法理をあげたいと思います。  いわば仏法の認識論からの生命の本質へのアプローチです。  まず、眼・耳・鼻・舌・身(皮膚)という五つの感覚器官の外界とのかかわりを「五識」とします。  その五識の背後に、それらを統合する心の働きとして第六識を立てます。これは「意識」と呼ばれま…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 第九識

 阿頼耶識よりもさらに深い生命の深層に示されたのが、第九識である阿摩羅識。「阿摩羅」とは、「汚れがない」という意味であり、第九識は根本清浄識、無垢識ともいわれる。要するに生命の根底に存在する清らかな領域であり、宇宙生命そのもの。  天台大師は、第九識を「仏識」としている。阿摩羅識は仏の境涯によってはじめて覚知される領域であり、また、す…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 第八識

 第八識は阿頼耶識という。「阿頼耶」とは、サンスクリットの「アーラヤ」の音写。元来はものをたくわえる蔵という意味。永遠の過去以来の一切の行為(業)の潜在的影響力が刻まれ、たくわえられる生命の領域であり、蔵識とも呼ばれる。  善悪を問わず、一切の行為(業)の影響力はその行為が終わっても消えることなく、阿頼耶識という生命の深層に刻まれてい…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 七識

 第七識は末那識とよばれる。「末那」とはサンスクリッドの「マナス」の音写で、「常に考え続ける」という意味。第六識の意識も思考する働きだが、意識の場合は五官を通して入ってくる情報を判断する働きであるのに対し、末那識は外界の状況にかかわらず、自分の内から働く、深く強い作用。  十界論では、世界を貫く真理をつかもうとする二乗(声聞・縁覚)の…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 「五識」「六識」

 九識の「識」とは、外界を認識する生命の働きのこと。  はじめの五識は、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識といって、眼・耳・鼻・舌・皮膚という五つの感覚器官の働きによる認識作用。  そして、第六識の意識とは、五感を通して入ってくる外界のさまざまな情報を生命の中で統合し、一定の判断を下して自分の行動を決める働きのこと。また、記憶や夢なども、…
コメント:0

続きを読むread more

障害を克服する(脳卒中)

 今日、心が脳の働きに影響を与えることができることを否定することは困難だろう。病理学は、脳の左半球の障害によって、読んだり書いたりする能力を失った人が、脳の別の部分がこの機能を引き継ぐように訓練することで、読み書きの能力を取り戻したケースを示してきた。これは、人が卒中の発作を起こし、脳の損傷を受けた箇所を修復する可能性をがまったくない時…
コメント:0

続きを読むread more

「眷属」 生まれてくる子供は親を選ぶ

 仏法では、「眷属」が説かれており、親子や一族、親族といったものは、この「眷属」の一つの範疇ととらえる。  人間の似たような親と子といっても、それぞれがが一個の独立した存在であることも間違いない。それでいてその性分は似通っているものが多くある。  ですから仏法では、生命にの内なる「因」と外なる「縁」との相応、和合といううえから、人間…
コメント:0

続きを読むread more

九識論 (私の仏教観)

 池田:世親は・・・識の根本にある「アーラヤ(阿頼耶=蔵)識」なる概念を導き出したわけです。これは、アビダルマ仏教の段階において、識を眼・耳・鼻・舌・身・意の六識に分けていたのですが、大乗にいたって第七識に「末那識」が加わり、さらに八識として「阿頼耶識」を打ち立てたことによって、ほぼ「識」の構造が確立されたことを意味します。  松本:…
コメント:0

続きを読むread more

障害を克服する (視覚障害) 

 器官劣等性は、多くの障害をもたらすが、この障害は、決して逃れられない運命ではない。そもそも、心がそれ自体で積極的であり障害を克服するためために一生懸命働けば、障害を持たずに生まれた人と同じだけ成功して当然なのである。  例えば、少年は、視覚障害のために並外れたストレスをこうむるかもしれない。視力のいいほかの同年齢の子どもよりも、見る…
コメント:0

続きを読むread more

九識 東洋学術

 大乗仏教の系統――中国の天台大師や日本の日蓮大聖人は、個別生命の根本流である「阿頼耶識」をも包括しゆく「宇宙生命」を「第九識」とし、「根本清浄識」と表現しております。  「宇宙生命」としての「仏性」は、人間生命という「内なる宇宙」の内奥にあり、しかも「外なる宇宙」と一体となりつつ、慈悲と智慧に光輝いている根本的な「清浄心」であるとい…
コメント:0

続きを読むread more

九識 御義口伝

 天台宗、華厳宗等では識を九つ立て、第九識をもって如来蔵識、清浄識といい、これを心王といいう。 識とは心が内外の対境に対して、これは何、彼は何と、その異同を知る作用をいい、眼、耳、鼻、舌、身、意のおのおのに識があると立てる。 すなわち、眼識とは色を縁として物の区別異同を知る識、以下おのおのの声、香、味、触、法を縁とする。 俱舎宗等…
コメント:0

続きを読むread more

「九識」 法を軸として無限の広がりと深さ

 「五識」とは。人間の「心」というものの働きを、ひとつには「目」「耳」「鼻」「舌」「身」という五感にともなうものであると、説いているわけです。「五識」の「識」とは、「境に対して(略)了了別知することを名づけて識と為す」というように、対象を分析し、認識する作用をさしている。  いまの「五識」と、いわゆる「第六識」である人間の物事に対する…
コメント:0

続きを読むread more

「識」-心の主体

 仏教では、一切のものの存在の基盤を、外界ではなく、自らの「心」におく。この「心の主体」が「識」である。  識は、単に外界に向かう自我意識をさすのではない。識は、対境を認識する自我意識、即ち六識の奥に、内なる世界を包含して、宇宙それ自体にまで繋がって(つながって)いく。広大なる「心的宇宙」が、識の世界である。  仏教では、心理的宇宙…
コメント:0

続きを読むread more

地球民族主義

 登壇した代表の話のなかで、ひときわ大きな感動を呼んだのは、アフリカ代表のケニアのメンバーのあいさつであった。 「現在、アフリカは旱魃、食糧問題等、数多くの難題をかかえております。しかも、どの問題一つをとっても、全世界、全地球的規模で取り組まなければ解決のつかない問題ばかりであります。しかし、いまだ世界には、そのための共通の精神的基盤…
コメント:0

続きを読むread more

確信をもって新事態に対処する

 われわれはただ未来が、原則として、未知数のものであり、予知できないものをはらんでいることを認識しなければならない。したがって、すべて過去の経験に基礎をおく、習慣や防衛、対応といった機制は、あやふやで、曖昧なものといわなければならない。ただ柔軟で創造的な人物、ひたすら確信をもっておそれることなく新事態に対処できる人物のみが、現実に未来を…
コメント:0

続きを読むread more

逃げるのではなくチャレンジする

 逃げていると、いつまでたっても食物をとれなくて、栄養失調になる。つまり、逃げれば九界の迷いだね。挑戦して、自己実現の栄養と化せば、それを十界の悟りともいえよう。私は、仏界を基調とした生命は、望んで、九界の「縁」に体当たりするのではないかと思う。また、それが、信仰者の生き方でもある。  たとえば、あえて地獄の苦を引き受ける生命を、仏界…
コメント:0

続きを読むread more

エゴイスティックをたたきふせる

 飢餓感におびえた体験をもつ人は、食物をはじめとする地球生命からの恵みに、感謝の心をわきおこすこともできるのです。そこから、自己をはぐくんでくれる他の人々や社会や自然への、心の底からの慈しみの念も生じるというものでしょう。  また、弱肉強食の原理や、憎悪、嫉妬、慢心の渦巻く人の世に体当たりで生きるときに、畜生や修羅の境涯に身をまかすこ…
コメント:0

続きを読むread more

抜苦与楽

 仏界を基調とした生命は、たんに苦悶をもたらす「縁」を受けて立つだけではあるまい。常識的にいわれることだが、苦しみとか悲しみとかは、人の心の深さを増すものです。人の世の真実の苦悩を味わった者のみが、他者の不安や苦痛を、そのまま「同苦」できるようにも思う。  つまり、苦しみは、その受け方によって、地獄の原因ともなれば、また逆に、その人の…
コメント:0

続きを読むread more

十界互具の定義を、もう少し考察を進めると

 十界の各々が生の息吹をたたえ、動き、変化への力を秘めているからこそ、十界のすべてが融和し、一体となって、私たちの生命に内在しうるのです。  いや、むしろ真実は、私たちの生命において、十界が互具したままで存在しうるがゆえに、十界のうちのいずれの境涯にも、顕在化しうる力というか、可能性をたもつことができる、という点にあるようです。少しむ…
コメント:0

続きを読むread more

欲望の魔性やエゴを乗りこえる「利他の実践」

 他者を救うことは、自分の利己心への真正面からの戦いなのだよ。私たちの身体全部をぶっつけて、慈悲の行為に邁進する。身も心も、生命のすべてが、慈悲という行動の塊みたいになっている。  日々の生活自体が、どの一瞬をとっても、慈悲でないものはない。こうなってくると、利己心が働こうとしても、少しのチャンスもないであろう。たとえ、魔性をはらんで…
コメント:0

続きを読むread more

縁覚の覚り

 家庭の主婦が、物価高で家計がどうにも苦しくてやりきれない場合、どうすれば少しでも豊かにすることができるだろうか、と悩み思索していると、家計のやりくりにも、ふと、主婦らしいうまい智慧がわいていくことがある。  また、おしゅうとさんとうまくいかない場合も、先輩の助言を聞いたりしながら、悩みを受けとめて思索しぬいていく。すると、あっ、こう…
コメント:0

続きを読むread more

三如是

 如是相というのは、外面の姿であり、物質・肉体である。如是性とは内面の性質であり、精神、心、智慧等といえる。如是体とは、肉体にもあらず、精神にもあらず、しかも肉体、精神にはっきりと、滲み出ている実体、すなわち生命それ自体である。  三如是は、生命の実態であり、七如是は、働き。  われら衆生の相、性、体の三如是が、日蓮大聖人の御生命に…
コメント:0

続きを読むread more

他化自在天

 池田:仏法の欲望論の特色の一つは、欲界の頂上に、第六天の魔王が住む、と明記していることだと思う。魔王などというと、先入観念がわざわいして迷信めいてうけとられやすいが、現代的にいうと「欲望の魔性」とでも呼びうるのではないだろうか。  北川:権力に巣食う魔性を権力の魔性といいますし、資本そのもののもつ悪魔的性格を資本の魔性と呼んでいます…
コメント:0

続きを読むread more

魔法の力

 われわれの文化においては、ともかく魔力が働いていると感じられるような事柄が役割を演じていることがしばしばある。それは貨幣である。多くの人は、金があれば何でもできると思っている。それゆえ、名誉心や虚栄心が何らかの仕方で金とか財産と関係しているのは、不思議でも何でもない。ほとんど病理学的あるいは人種的な根拠も持っていると思えるほどの所有へ…
コメント:0

続きを読むread more

他者を励まし助ける気分

 虚栄心の強い人の役割は常に、期待する者、奪う者の役割である。こういう人間と、他方、発達した共同体感覚を示し、いわば「私は他者に何を与えることができるか」という問いを胸に秘めつつ生きている人とを、鋭く対比してみるならば、その著しい価値判断の違いが認識されるだろう。    われわれが今日、途方もない昔からの人類の経験の表現であるこうし…
コメント:0

続きを読むread more

人界の住所 大地とは何を意味する

 人界の住所についてですが、「三重秘伝抄」には「人は大地に依って住し」(六巻抄17P)とあります。この大地とは何を意味しているのでしょうか。 池田:この文は人界の「我」に、さまざまな姿や形があるが、同じく大地という共通の場に住んでいるということを意味していると思う。  では、肝心の大地とは何をさすのかというと、いうまでもなく、人間の…
コメント:0

続きを読むread more

十界論は実践の哲理

 十界論はあくまで実践の哲理です。苦悩し絶望の底にあえぐ生命の「我」に、人間らしい生きがいをもたらす理念です。  この理念が十界互具論、一念三千論へと昇華、統合され、新しい人間文化を築きあげる生命の哲理へと発展するための、努力を惜しんではならない。「戦争とは、どういうものか」と首をかしげざるをえないような社会を現出させたいものですね。…
コメント:0

続きを読むread more

四十肩を治す

四十肩、五十肩のマッサージによる治し方です。どちらの病名であっても治し方は同じです。 原因は筋肉。筋肉の使い過ぎや衰えによって痛みという症状を引き起こしているだ。、筋肉をマッサージすれば治ります。 大事なのは、どの筋肉をマッサージすればいいのか。 筋肉と骨の関係とは? 筋肉は、骨を動かすために使用されます。筋肉の収縮作用によって…
コメント:0

続きを読むread more

「久遠即末法」の原理

 たとえば、宇宙生命の”我”は、成住壊空の脈動をたたえつつ、無限の時空へと広がっていく。しかし、それは、現在の一瞬の宇宙の本源に内在する「久遠」の働きであり、「南無妙法蓮華経」の宇宙大の根源的な力の噴出です。  しかも、現実の世界を織りなす唯一の実在は、現在の一瞬であり、この一瞬にあらわれた宇宙の姿のみです。さらに、現在の瞬間に顕在化…
コメント:0

続きを読むread more

久遠

 時間と空間が一体となり、融合体を形成している以上、人間の生命流の根底においては、生命的空間と生命的時間も、互いに溶けあい、渦巻いていると考えるのが妥当だろう。もっと端的に表現すれば、私たちの占める生命空間は、生命流の根源に近づけば近づくほど、かぎりなく拡大し人類全体を含み、あらゆる生き物をのみこみ、地球や星の占める物理空間をも包含し、…
コメント:0

続きを読むread more

瞬間即永遠

 瞬間の生に、永遠の実在をあらわすような現在を生きたいものだね。過去の”貯蔵庫”を開きつつ、希望と期待に胸をふくらませて未来を決意する。その決意も、空間的にいえば、宇宙大に広がり、時間からすれば、未来永劫にわたるものでなければなるまい。  しかも、万物を生みだし、育て、創造する宇宙生命の本源的な働きに沿う決意こそが、人間としての本来的…
コメント:0

続きを読むread more

男らしさを求めて

男らしさという誇張された理想は、要求とか絶え間ない刺激とか永遠の不安を意味しており、そこから生じてくるものは、虚栄を張り、自分だけを富ませ、特権的な地位を求めるという要求にほかならない。そういうものは、人間の共同生活の自然的な諸条件に反しているのである。われわれには、自由と同権を求めるという女性解放運動のこれまでの線に反対する理由など何…
コメント:0

続きを読むread more

「円融の三諦」

池田:あらゆる存在は、空仮中の三諦でとらえることができるわけです。しかし、三諦といっても、それは一つの実在の三つの観点からの認識であって、決して別個に分離して考えるということではない。  中道が空・仮なるものを支えている存在であるといっても、それだけでは、生命の本質をとらえたことにはならない。「中」が、「仮」にあらわれ、「空」として存…
コメント:0

続きを読むread more

一貫して不変の「我」=中=

北川 :「十如是事」には、「如是体とは我が此の身体なり是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり」(御書全集410p)とあります。ここで「我が此の身体」とあるのは、色法の肉体という意味ではありませんね。 池田 :そう。「仮」と「空」を支えている生命の本体、また、「仮」と「空」を含んだ生命の実在という意味でしょうね。われわれの…
コメント:0

続きを読むread more

「我」

池田  ただ「我」といっても、心理学等でいう自我意識とは、厳密にいえば、違う面もある。心理学でいう「我」は、意識と切り離せないし、精神活動の一部として、とらえられる。フロイトが、イド、自我、超自我と、精神を分析しているけれども、また、その自我には意識だけではなく、無意識層も含むわけだけれど、仏法でいう「我は此の身体」というのは、さらに生…
コメント:0

続きを読むread more

女性への偏見

われわれの文化のなかで少女が自信と勇気をもつことは容易ではない。 ところで、あの才能検査に際して、十四歳から十八歳までの少女の一定のグループが、少年を含めて他のあらゆるグループよりも多くの才能を示すという注目すべき事実が明らかになった。 さらに調査をした結果、そのグループには、妻や母親や彼女たち自身が独立した仕事を持っているよう…
コメント:0

続きを読むread more

「才能」人間の判断能力

「才能検査の採用に反対する理由」  子どもたちの思考能力および判断能力は一様に発達するものではなく、才能検査の結果が悪いような子供たちでも、数年後には才能が突然によく伸びることがある。  大都市の子供たち、あるいは生活範囲が広いサークル出身の子供たちは、単に一定の練習に由来するにすぎない機知によって、より多くの才能を持っているよ…
コメント:0

続きを読むread more

土踏まずが痛い

足の裏が痛くなることを足底腱膜炎というそうです。 病名のように、腱膜が炎症を起こしているのでしょうか。 足の裏のアーチ(くぼみ)の角度は人によって異なります。 同じ人でも、足の疲れ具合で変化しています。 手のひらも、その構造は足の裏と似ていると思いませんか。 まずは、指の付け根から、手首の間まで窪んでいることに注意してください…
コメント:0

続きを読むread more

命濁とは、生命それ自体の濁り

戸田城聖前会長は、このことについて、次のように述べられている、 「われわれの生命には、染浄の二法が存在する。清らかな生命は、外界のいっさいを、すなおにうけて、宇宙の大リズムに調和して、生命が流転するから、決して、無理はない。この生命こそ、偉大な生命力を発揮するがゆえに、人生を楽しむことができるのである。 ところが、生命の染法と申すの…
コメント:0

続きを読むread more

女性リーダーの活躍

 本部幹部会が、関西戸田記念講堂で開催された。  伸一は、新しい「七つの鐘」の構想に言及し、民衆のスクラムで、二十一世紀を断じて「人道と平和の世紀」にと呼びかけた。  また、世界で、女性リーダーの活躍が目覚ましいことを紹介した。  「今、時代は、音をたてて変わっている。社会でも、団体でも、これからは女性を尊重し、女性を大切にし…
コメント:0

続きを読むread more

プトラ大学からの名誉学位記授与の「謝辞」

 「真実の友情の対話は、民族・国境を超え、利害を超え、あらゆる分断の壁を越えます。  そして、多様性を尊重し、生かし合いながら、寛容と共生と創造の道を、手を携えて進んでいくことこそ、最も大切な道なのであります。なかんずく、教育が結ぶ友情こそが、平和と幸福を護る最も堅固な盾であります」  伸一は、このプトラ大学からの名誉学位記授与…
コメント:0

続きを読むread more

ハード・パワーからソフト・パワーへ

 シドニー大学のクレーマー総長から伸一に、名誉学位記が手渡された。  謝辞に立った彼は、「帝国主義の吹き荒れる時代のなかで、牧口会長は、いち早く、『地球的相互依存性』への自覚を促し、そして、他のために貢献し、自他共に栄えていくという『人類共生の哲学』を訴えたのです。  さらに、人類は、『軍事』や『政治』や『経済』の次元で、他を圧…
コメント:0

続きを読むread more

人間の尊厳

  ハバナ大学からの「名誉人文学博士号」の授与式が行われ、引き続き伸一が新世紀へ 大いなる精神の架橋を」と題して記念講演をすることになっていた。  講演で、伸一は、「二十一世紀に始まる新しい千年には、『人間の尊厳』を基盤とした”希望”と”調和”の文明を、断固として築いてまいりたい」と、思いを披歴した。  そして、そのために…
コメント:0

続きを読むread more