やった分だけ自分の得になる

 信仰のことで、いたずらに”とらわれた心”になって、窮屈に自分を縛る必要は全くありません。また、気持ちを重くさせ、喜びが失せてしまいそうな指導をしてもならない。
 勤行・唱題も、やった分だけ、自分の得になる。かといって、やらなければ”罰”が出るなどということはありません。それでは、初めから信仰しない人の方がよいことにさえなってしまう。
 妙法への信心の『心』に、一遍の唱題に、無量の功徳があると大聖人は仰せです――そう確信し、自ら勇んで、伸び伸びと、喜びの心をもって仏道修行に励んでいく一念によって、いよいよ境涯は限りなく開け、福運を積んでいくことができるんです。信心は、決して義務ではない。自身の最高の権利です。この微妙な一念の転換に信心の要諦がある。

『新・人間革命』第30巻下
池田大作著
聖教新聞社

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