
「彼女(鄧頴趙)は北京から戻り、天津の女学校で教壇に立つことになった。天津にあって、彼女が最も情熱を注いだのは、中国の封建的な思想、習慣、制度のなかで、自由も、尊厳も奪われ、”奴隷”のように生きなければならなかった多くの女性たちの解放であった」
「女性の苦しみを解決するには、社会そのものを変革するしかない。では、女性が解放され、自立していくには何が必要か――鄧頴超は、考え、悩む。
”人々は、無知であるがゆえに騙され、支配され、人間としての権利を剥奪されている。教育の門戸を開こう。教育こそ、人民を支え、育む力である”と、彼女は結論する。
『新・人間革命』第28巻
池田大作著
聖教新聞社
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