真実の健康とは何か

『新・人間革命』22巻からです 「真実の健康とは何か」 「健康とは、単に病気ではないという状態をさすものではない。また、身体が強健であることのみで、健康であるとは言えません。 心身ともに、健全に、生き生きとした創造の営みを織り成していくところにこそ、真の健康がある。 どのような苦難をも乗り越え、最悪の環境条件さえも、かえ…
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コウケントー 紫外線

光線研究所が発行する「光線新聞」からです。 人間が見ることのできる光の中で最短波長の紫(400mm)よりも短い波長の光線です。 紫外線は1801年ドイツの医師リッターとイギリスの物理学ウォラストンにより発見され、ウルトラヴァイオレットの略でUVと表記されます。 その特徴は、紫外線が照射された物質に化学変化を起こさせる力が大きいこと…
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コウケントー「解体新書ネオ」

コウケントー治療の有効性について 『解体新書ネオ』より太陽光についての文章を。 「太陽光に含まれる紫外線を過度に浴びると、皮膚が厚くなる。角質層の水分量が減る。過酸化脂質が増える。色素形成細胞が増えシミをつくる・・・」 「太陽光から発せられる紫外線にはAとBの二つのタイプがある。このうち、波長の短いBタイプの紫外線…
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コウケントー「からだの科学」

コウケントー治療について 『からだの科学』からです 第一次世界大戦後の食糧不足でウィーンの子どもたちの間にクル病が流行したとき、・・・ 子供に肝油をのませること、日光浴をさせること、太陽灯をかけることのいずれか一種類の治療でクル病が治ったのである。・・・ 食べものの脂肪の中にあるエルゴステロールやコレステロールが、からだ…
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コウケントー「光の医学」

コウケントー治療の意味について 『光の医学』からです 「しかし、こうして(日焼けローションなど)紫外線を遮ると、身体の防御機能がきわめて弱気なるかもしれないのだ。 ジョン・オット博士の指摘によると、眼から入る紫外線は免疫系を刺戟する。大量な紫外線が有害なのは間違いない。しかしオット博士によれば、日光に含まれる程度の微量…
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コウケントー「健康という幻想」

コウケントー  光による治療法について 数回にわたってコウケントー治療の意味について考えてみます。 『健康という幻想』より 「皮膚の色もまた、あきらかに、物理的環境への適応を意味する。ある皮膚の色素は、過度に与えると有害な紫外線をはじめとする放射線から人体を保護するが、紫外線がある程度、皮膚を通ることは,からだでビタミ…
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生涯の目標

『新・人間革命』19巻からです。 「命ある限り学ぶ」 生きるということは、学ぶということだ。先師の牧口先生も、恩師の戸田先生も、命の燃え尽きるまで学びに学んだ。 軍部政府の弾圧によって逮捕された牧口は、独房にあっても必死になって読書に励んだ。死去する一カ月余り前の葉書にも、「カントノ哲学ヲ読書シテ居ル」とある。 また、戸…
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幸福と健康

牧口常三郎先生の著書からです。 幸福の第一条件たる健康のためには活動を第一とする。 社会的生活に有害なる怠惰、無活動は個人的不健康の原因であり、無駄な生活、反価値の活動に放散されている児童の活動力、じっとしていられない青少年の活動力の有害に放散されるものを有益に、創価的生活に導くために教育の意義が存するのである。一切の教育経営が…
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精神的な健康の確立

心の健康を確立することは、”攻めの医学”の確立につながる 『新・人間革命』22巻からです 「『心の財(こころのたから)』は、精神的な健康です。『心の財』から、生きようとする意欲が、希望と勇気が、張り合いが生まれます」 スイスの哲学者ヒルティは、「たえず新たにみなぎってくる健康な力は、大きな目的にささげた非利己的な活動か…
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”差別”は人間の心の中に

『新・人間革命』第10巻より 「差別をなくすことは、 黒人(アフリカ系アメリカ人)の悲願であった。 また、心ある政治家も、差別の撤廃に取り組んできた。 そして、黒人の公民権を保証する法律も、ようやく整ってきた。しかし、法のうえで平等が定められても、依然として差別は無くならないのはなぜか。 差別は、人間の心のなかにあるからだ…
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”老い”とは

『新・人間革命』第22巻より 伸一は、”老い”について語った。 老醜、老残などなどという言葉があるように、”老い”は、ともすれば否定的に考えられがちだが、 それは、誰も避けることのできない、「人生の総決算、総仕上げであり、その生の完成」であるとして、こう述べた。 「私はかねがね人生の本当の勝負というものは、老境にいたって決ま…
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